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バブラム・バッタライ : ミニ英和和英辞書
バブラム・バッタライ[らむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)

バブラム・バッタライ ( リダイレクト:バーブラーム・バッタライ ) : ウィキペディア日本語版
バーブラーム・バッタライ[らむ]

バーブラーム・バッタライネパール語:बाबुराम भट्टराई, Baburam Bhattarai, 1954年5月26日 - )は、ネパール革命家政治家。前首相(在任:2011年8月29日 - 2013年3月14日)。首相就任前はプラチャンダ内閣財務相でもあった。
ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の理論的指導者としてNo.2を長らく務めたが、2009年1月12日、ネパール共産党統一毛沢東主義派の結成により、序列はNo.4となった。また、バッタライは一時、党の国際部門の長や、中央人民政府組織委員会の萌芽となるネパール統一革命人民委員会議長を務めた。
元首相でネパール会議派クリシュナ・プラサード・バッタライとは別人物。
== 生い立ち ==
バッタライはネパール西部ガンダキ県(Gandaki)ゴルカ郡ベルバス村に中流下層の小作農の家庭に生まれた。バッタライの出身であるバウン(ブラーマン)は、司祭カースト(知識人カースト)であり、伝統的に自らの「知能」「知的優位性」を誇る傾向がある。中流下層とはいえ、カーストは最高位カーストであるバウン(ブラーマン)である。バッタライもそのような文化的環境で育った。
当時、マオイストの指導者の多くが、貧しい人民から徴収した資金で子弟を英国の大学等に留学させていた。そのような「教育熱心さ」にも、彼らの「知識人カースト」としてのこだわりが伺われる。
バッタライは神童の誉れが高く、ゴルカ郡ルインテルのアマル・ジョティ・ジャナタ中学を卒業、1970年のSLC試験を全国1位でパスし、高校の全国試験でも再び首席で史上最高点を記録〔<ネパール>マオイストのバッタライ副議長が首相に選出される 〕。
高校卒業後、トリブバン大学建築学科に進学。さらにインドジャワハルラール・ネルー大学に留学、1977年に「全インド・ネパール留学生協会」を創設する。
1986年、ジャワハルラル・ネルー大学の博士課程(地域開発学)もトップで卒業し、Ph.Dの学位を取得した〔Shrishti R L Rana . kantipuronline.com (2006-03-29)〕〔<ネパール>マオイストのバッタライ副議長が首相に選出される 〕。学位論文は後に「ネパールの低開発と地域の構造―マルクス主義的分析」として出版された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーブラーム・バッタライ」の詳細全文を読む




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