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ハワード・ケンドール : ミニ英和和英辞書
ハワード・ケンドール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハワード・ケンドール : ウィキペディア日本語版
ハワード・ケンドール[ちょうおん]

ハワード・ケンドール(Howard Kendall、1946年5月22日 - )は、イングランドダラム出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー
選手としてはエヴァートンFCプレストン・ノース・エンドFCバーミンガム・シティFCブラックバーン・ローヴァーズFCなどに在籍した。指導者としてはマンチェスター・シティFCノッツ・カウンティFCシェフィールド・ユナイテッドFC、スペインのアスレティック・ビルバオ、ギリシャのシュコダ・クサンティFCなどを指揮した。1984-85シーズンにはエヴァートンを指揮してUEFAカップウィナーズカップを制したが、2011-12シーズン終了時点で、ケンドール以後に欧州カップ戦でタイトルを獲得したイングランド人指導者は存在しない。2005年には指導者としてイングランドサッカー殿堂入りを果たした。叔父のハリー・タイラーもサッカー選手であり、1950年代にニューカッスル・ユナイテッドFCフラムFCでプレーした。
== 経歴 ==

=== 選手時代 ===
; プレストン・ノース・エンド
1961年にセカンドディヴィジョン(2部)のプレストン・ノースエンドFCに加入し、1963年5月にプロ契約を交わした。1963-64シーズンのプレストン・ノースエンドは、セカンドディヴィジョン在籍クラブながらFAカップで決勝に進出。ケンドールは決勝のウェストハム・ユナイテッドFC戦に出場したが、まだ18歳になっておらず、同大会決勝の歴代最年少出場記録を更新した。左サイドハーフのレギュラーはイアン・デヴィッドソンだったが、クラブに無許可でスコットランドを訪れたことで出場停止処分を受けていた。
; エヴァートン
1967年3月、移籍金8万5000ポンドでファーストディヴィジョン(1部)のエヴァートンFCに移籍した〔。それまでは主にディフェンダーとしてプレーしていたが、エヴァートンでミッドフィールダーに転向し、アラン・ボールコリン・ハーヴェイとのトリオは「ホーリー・トリニティ」(The Holy Trinity)と名付けられた。1969-70シーズンには主力選手としてファーストディヴィジョン優勝を果たし、1970年にはFAチャリティ・シールドでも優勝した。つづく3シーズンはエヴァートンのキャプテンを務めたが、優勝争いには程遠く、1972-73シーズンは17位に低迷した〔。
; バーミンガム
1973年2月、ファーストディヴィジョンのバーミンガム・シティFCに移籍。4シーズンをセント・アンドルーズで過ごし、バーミンガムのファーストディヴィジョン残留に貢献した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハワード・ケンドール」の詳細全文を読む




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