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ハイラム・ショウ・ウィルキンソン : ミニ英和和英辞書
ハイラム・ショウ・ウィルキンソン[らむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)

ハイラム・ショウ・ウィルキンソン : ウィキペディア日本語版
ハイラム・ショウ・ウィルキンソン[らむ]
サー・ハイラム・ショウ・ウィルキンソンHiram Shaw Wilkinson1840年 - 1926年)は主に中国・日本に勤務した英国の裁判官・外交官で、帰国後には治安判事、州副知事(Deputy Lieutenant)を務めた。
==略歴==
ハイラム・ショウ・ウィルキンソンは父ジョン・ウィルキンソン、母アナベラ・ショウ間に1840年に生まれた〔。1864年にはプルディ・ガフィキンと結婚した。妻は1870年に死亡しているが数人の子供があり、息子の一人であるハイラム・パークス・ウィルキンソンは父と同様に中国・日本で裁判官を務めている〔。
ウィルキンソンはクイーンズ大学ベルファストに学び、1864年には学士号、1881年には法学博士号を取得している〔。1872年、ウィルキンソンはミドル・テンプル法廷弁護士に認められた〔 。
大学卒業後の1864年から、横浜の英国領事館通訳生として雇用された〔。この期間の領事業務を通じて流暢な日本語を身につけた〔See Hansard HL Deb 27 September 1909 vol 3 cc361-83 at 364-5 on the role of student interpreter and their expected proficiency in the language they learn〕。1876年までには、ウィルキンソンは東京の英国公使館の通訳官となっており、また横浜の領事裁判所の非常勤判事を兼ねていた。1877年には同裁判所の法務書記官代理となった〔The Japan Gazette Offiicial Directory for 1876 and 1877〕。
ウィルキンソンが日本で公務についていた時期は、最初期の日本語通訳生で、後に在日本公使(1895年-1900年)・在中国公使(1900年-1906年)となったアーネスト・サトウの勤務時期(1862年-1883年)と重複する。後年、サトウはウィルキンソンを在上海英国高等領事裁判所の判事に推薦したことを述べている〔The Semi-official Letters of British Envoy Sir Ernest Satow from Japan and China (1895-1906), Edited by Ian Ruxton, 1997, p175〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハイラム・ショウ・ウィルキンソン」の詳細全文を読む




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