翻訳と辞書
Words near each other
・ ノーザンテリトリー
・ ノーザンテリトリーの地方自治体
・ ノーザンテリトリー副大臣
・ ノーザンテリトリー副首相
・ ノーザンテリトリー大学
・ ノーザンテリトリー準州
・ ノーザンテリトリー行政官
・ ノーザンテリトリー首席大臣
・ ノーザンテリトリー首相
・ ノーザンテレコム
ノーザンテースト
・ ノーザンテースト系
・ ノーザントラストオープン
・ ノーザンナインティーン
・ ノーザンハイブリダイゼーション
・ ノーザンバラムンディ
・ ノーザンバーランド
・ ノーザンバーランド郡
・ ノーザンバーランド郡 (オンタリオ州)
・ ノーザンパイク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ノーザンテースト : ミニ英和和英辞書
ノーザンテースト[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ノーザンテースト : ウィキペディア日本語版
ノーザンテースト[ちょうおん]

ノーザンテースト(、1971年 - 2004年)はカナダ生まれの競走馬種牡馬
== 来歴 ==
1972年7月アメリカニューヨーク州サラトガ競馬場セリ市で社台グループ総帥吉田善哉からノーザンダンサー産駒の(牡の仔馬)購入命令を受けた吉田照哉(現社台ファーム代表)が10万ドル(当時のレートで3080万円)で落札。当時はノーザンダンサー産駒がそれまでのサラブレッドの常識を打ち破るほどの目覚ましい活躍を遂げており、その経緯から競走馬として、また将来的には種牡馬として供用することを前提に購入された。
その後フランスに渡り、2歳時はG3レースを連勝するなど4戦2勝。翌年緒戦のジェベル賞を勝つと、フランスのクラシックレースではなく、1枚レベルの高いイギリスのクラシックへと挑戦。英2000ギニーで4着、エプソムダービーで5着と好走。フランスへ帰国後も好走するも勝ち切れないレースが続いたが、フォレ賞でG1を初制覇した。翌年も競走生活を続けたが、目立った活躍はなく引退。通算の競走成績は20戦5勝。なお、クラシックレースを勝つ事はできなかったものの、同期の仏2000ギニー馬ムーリン(後に種牡馬として日本に輸入される)を2度に渡って下している。
1975年4歳時に当初の予定通り種牡馬として社台グループが日本に輸入。種牡馬入りした当初は、その独特の容貌(短い足と大きな頭部)から、日高の一部生産者から「犬のような馬」「わざわざアメリカからヤギを買ってきたのか」と揶揄され、嘲笑に近い言葉を浴びせられたこともあったという。しかしその後、ノーザンテーストは数多くの勝ち馬を輩出し、日本競馬の血統を大きく塗り替えた名種牡馬としてかつてない賞賛を受けることになる。
1982年テスコボーイから日本リーディングサイアーの座を奪い取ると、通算10回のリーディングサイアーに輝いた〔参考までに、中央競馬のみの集計では11年連続11回であった。〕。また、1990年から2006年まで17年連続リーディングブルードメアサイアーにも輝いている〔中央競馬のみの集計では1991年から2005年の15年連続であった。〕。
記録としては1979年から1996年までの18年連続、また1977年産から1996年産までの20世代連続で重賞馬が輩出。1979年から2006年まで中央競馬28年連続で産駒が勝利を収めた。2004年にサンデーサイレンスに更新されるまで産駒JRA勝利数で第1位だった〔競馬ブックコーナー 〕。
1999年に13頭の繁殖牝馬に種付けを行ったのを最後に、2000年種牡馬を引退。
2004年12月11日午後3時20分、北海道勇払郡早来町社台スタリオンステーションで老衰のため死亡。33歳の大往生だった。死後、遺体は社台スタリオンステーション敷地内の高台に埋葬されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノーザンテースト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.