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ネオ・レディース : ミニ英和和英辞書
ネオ・レディース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ネオ・レディース ( リダイレクト:NEO女子プロレス ) : ウィキペディア日本語版
NEO女子プロレス[ねおじょしぷろれす]

NEO女子プロレス(ネオじょしプロレス)は、日本女子プロレス団体。運営はネオ・エンターテイメント。設立当初の団体名はネオ・レディース
== ネオ・レディース時代 ==
1997年、全日本女子プロレスからの選手大量離脱の際に井上京子を中心とした女子プロレスラー9人によって、前身であるネオ・ジャパン・レディース・プロレスリング(略称:ネオ・レディース)が立ち上げられる。社長には元ファミ通編集者で後にスマックガールを立ち上げる篠泰樹が就任し、井上も取締役となった。
元々、井上京子を中心に新団体を旗揚げする考えはあったが、準備期間中に一部スポーツ紙に旗揚げをスッパ抜かれ、また、同じく全女から分かれたアルシオン旗揚げのニュースもあり、対抗として見切り発車的に旗揚げすることになる。
尚、当初、団体名をネオ・レディースではなく「新日本女子プロレス」と名乗る予定だったが、新日本プロレスからの商標権侵害による告発によりギリシャ語で「新」を意味する「NEO(ネオ)」を使いネオ・レディースと名乗ることになる(ただし、会社が発行した封筒等に記載してあった会社名は、株式会社新日本女子プロレスだった)。
そのような慌しい中での旗揚げではあったが、保険会社との提携や渋谷区に道場を兼ねた試合会場を作る等の準備を行い(自分達の興行がない時に他団体へ会場を貸し出し、その使用費を団体運営に当てるつもりでいた)、旗揚げに漕ぎ着けるも、当初使用する予定だった渋谷の会場が地元の反対や建築基準法に抵触することが判明し、1度だけファンを集めてのイベントで使用したのみで、閉鎖することになる。
旗揚げ戦は1998年1月9日後楽園ホール大会。所属9人のみで興行を打ったため椎名由香を除いた全員がそれぞれ2試合、井上に至っては3試合に出場した。2月には駒沢オリンピック公園総合運動場体育館で興行を打った。
その後、団体の分裂に伴い、ファンも分裂した事や、全女のように地方に強いパイプを持っていなかったことによるPR不足等により観客動員に苦戦し、そのことで井上京子がリング上で「なんだこのザマは」とフロント陣を批判するなど、選手とスタッフの間で感情的なしこりを作ってしまう。井上は「オカマムエタイ戦士」パリンヤー・ジャルーンポン異種格闘技戦を決行するが、話題こそなれど起爆剤にはならなかった。
旗揚げから2年後の1999年、DDTプロレスリングとの提携などを模索するも、経営不振からオーナーを始めとするほとんどのスタッフが離脱し(当時のオーナーは起死回生の手段として、大会場での興行を行う考えがあったが、地道な興行で手堅く維持を図ろうとする後の社長の甲田哲也との間で意見の相違があったとされている)、2000年1月6日後楽園大会を最後に解散。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「NEO女子プロレス」の詳細全文を読む




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