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ヌー・ハーイ : ミニ英和和英辞書
ヌー・ハーイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヌー・ハーイ : ウィキペディア日本語版
ヌー・ハーイ[ちょうおん]

ヌー・ハーイ( Nou Hach、1916年 - 1975年7月)は、カンボジアの小説家、詩人。現代カンボジアの著名作家の一人であるが、ポル・ポト政権の時代に粛清で命を落とした。
== 生涯 ==
フランス植民地時代に、豊富な米の産地として知られるバタンバン州のコンポン・プレア村に生まれる。幼少期は仏教寺院で教育を受け、プノンペンのコレージュ・シソワットに入学して、1939年にリセ・シソワットを卒業した。法学を学んでシエムリアプで裁判官となり、情報省に入ったのちに1947年に政府広報誌「カンボジア」編集委員として働く。同年に、代表作となる『萎れた花』を「カンボジア」に連載した。首相秘書や情報省官房長、外務省での勤務をへて、1952年にはシアヌーク国王の公共通信省次官となった〔著者略歴 (2015) p.150〕〔岡田 (2015) p.144〕。
カンボジアがフランスから独立してからは、文学や出版が盛んになり、ヌー・ハーイも『愛する乙女』などの小説やフランス語の詩を勢力的に発表する。1956年に設立されたクメール作家協会のメンバーにもなった〔岡田 (2015) p.144〕。
インドネシア大使を務めている1970年にクーデターが起きてクメール共和国が建国されると、カンボジア国内は政府軍とポル・ポトが指導するクメール・ルージュとの間で内戦となる。ヌー・ハーイは1972年にインドネシア大使を引退して帰国するが、クメール・ルージュによってプノンペンを追放され、当時の多くの知識人と同様に粛清によって生涯を終えた〔岡田 (2015) p.145〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヌー・ハーイ」の詳細全文を読む




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