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ニカの乱 : ウィキペディア日本語版
ニカの乱[にかのらん]
ニカの乱(ニカのらん、)は、532年東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで起きた、皇帝ユスティニアヌス1世に対する反乱である。「ニカ」とはギリシャ語で「勝利」を意味する言葉で、反乱を起こした市民の掛け声である。
==背景==
古代ローマの帝政期から行われていた「パンとサーカス」は、ビザンティン時代になっても継続して市民に提供されていた。これは皇帝にとっては、人気取りと市民の不満をそらすことに有効であり、その場では市民は皇帝に対して直接に物を言うことができた。
特にチャリオットを使った戦車レースでは、競技者を応援する集団が形成された。古代ローマ時代には、「青」、「赤」、「緑」、「白」の4つがあり、構成員はそれぞれの党派を表す色を身に着けていた。ビザンティン時代に入って影響力を持っていた党派は、元老院階級や有力貴族を支持母体とし、皇帝ユスティニアヌス1世自身も応援者であった「青」(青党)と、主に自由市民が支持する「緑」(緑党)であった。
社会的に位置する階級や地域によってまとまっていたこれらの党派は、政治党派や私兵団という側面ももっており、戦車レースの間に政治的な要求を連呼することでしばしば皇帝の政策を左右しようとした。ユスティニアヌスの治世には、主に重税による不満から戦車レースの終了後にはほとんどかならず暴動が発生したが、首都の正規軍と近衛兵だけでは秩序を保つことができず、鎮圧にはこれらの党派の協力を必要とするまでになっていた。このことから、一部の有力貴族は帝位の簒奪を謀り始めていた。ユスティニアヌスの始めた征服事業やサーサーン朝ペルシアとの東方における長期の戦役、大規模な建築事業は、市民だけでなく貴族にも重税を強いることとなり、それに対する怒りは広く鬱積していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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