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ナーシル・ウッディーン・マフムード・シャー : ミニ英和和英辞書
ナーシル・ウッディーン・マフムード・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ナーシル・ウッディーン・マフムード・シャー ( リダイレクト:ナーシルッディーン・マフムード・シャー ) : ウィキペディア日本語版
ナーシルッディーン・マフムード・シャー[ちょうおん]
ナーシルッディーン・マフムード・シャー(Nasir ud din Mahmud Shah, 生年不詳 - 1266年)は、北インドデリー・スルターン朝奴隷王朝の第8代君主(在位:1246年 - 1266年)。父は第3代君主のシャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.57〕。
==生涯==
1246年6月、ナーシルッディーン・マフムード・シャーは甥アラー・ウッディーン・マスウード・シャーの廃位後、トルコ系貴族でチェハルガーニーの一人バルバンらによって擁立され、同月12日に即位した〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕。彼が推戴された理由としては、バフラーイチにおける善政によるものだ、と後世の歴史家フィリシュタは語っている。
バルバンはマフムード・シャーの父イルトゥトゥミシュの没後に頭角を現した人物であるが、野心家であった彼は摂政(ナーイブ)として、政権内の組織を着々と手中に収めるとともに、自身の立場を固めていった〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.77〕。また、1249年にマフムード・シャーはバルバンの娘と結婚し、その治世はバルバンの影響力がさらに増すところとなった〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕。彼はバルバンに「ウルグ・ハーン・アーザム」の称号を与えるとともに、国軍の指揮官にも任命した〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕。
とはいえ、1253年にマフムード・シャーはバルバンに匹敵する強力なインド人貴族イマードゥッディーン・ライハーンの助力を得て、バルバンを宮廷から排除し、デリーから彼のナーガウルイクターに追いやった〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕〔Medieval India From Sultanat to the Mughals-Delhi Sultanat (1206-1526 ... - Satish Chandra - Google ブックス 〕。トルコ人に変えて非トルコ系の人材に行政を委ねる形となった〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.119〕。
だが、1254年になり、トルコ系士官らが反乱を起こしてデリーを包囲すると、バルバンは自身のイクターからデリーに戻った。彼は政権復帰の交渉を行って復帰し、ライハーンは自身のバダーウーンのイクターに追いやられた〔History 〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.77〕。翌1255年、ライハーンは殺害された〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.77〕。
そのうえ、バルバンはマフムード・シャーに対し、王族を象徴する白い日傘(チャトル)といった王の所持品を渡すよう命じた〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.119〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.78〕。
そのため、バルバンは貴族の一人にすぎないながらも全権を掌握し、マフムード・シャーを傀儡(ノムナ)として国政を牛耳った〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.119〕。
マフムード・シャーは何も成せないまま、1266年にデリーで死去した〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.119〕。バルバンによって毒殺されたのだという。嗣子がなかったため、姻戚関係にあった摂政であるバルバンが王位を継承した〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.120〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナーシルッディーン・マフムード・シャー」の詳細全文を読む




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