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ナビス戦争 : ミニ英和和英辞書
ナビス戦争[なびすせんそう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビス : [びす]
  1. (fr:) (n) (1) screw (fr: vis) 2. -bis (again, second version) (fr: bis) 3. BIS (Bank of International Settlements) 4. (fr:) (n) (1) screw (fr: vis)/(2) -bis (again, second version) (fr: bis)/(3) BIS (Bank of International Settlements)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

ナビス戦争 : ウィキペディア日本語版
ナビス戦争[なびすせんそう]

ナビス戦争(ナビスせんそう、)は、ギリシアのポリスであるスパルタ共和政ローマアカイア同盟アッタロス朝(ペルガモン王国。以下はペルガモンと記載)、ロドスおよびアンティゴノス朝(マケドニア王国。以下はマケドニアと記載)の連合軍の間で行われた戦争である。
ラコニア戦争ローマ・スパルタ戦争とも称されるこの戦争の結果により、スパルタは実質的に独立国家として終焉を迎えた。また、共和政ローマはこの戦争における勝利により、紀元前146年まで続くギリシア征服の足掛かりを作ることとなった。
==背景==

===ナビス即位までのスパルタ小史===
伝統的にスパルタは、エウリュポーン(Eurypontides)家およびアギアース(Agiades)家から各1人ずつ選ばれた2人の王(アルカゲタイと称される)と60歳以上のスパルタ市民権を持つ男性から構成される28人の長老(geronte)を含む30人の(日本語で長老会、長老会議、長老評議会など)を頂点として、エフォロイ(スパルタ市民による民会で公選された1年任期の定員5名の官職。日本語訳では監督官、監査官など。なお、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは「古代ローマの護民官と同じような官職で、独裁的な権限を持っていた」と述べている〔ヘーゲル p.71-72〕。)がゲルーシアを抑制する役職として設置されていた〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 8-9〕〔プルタルコス「英雄伝」リュクールゴス 5-7〕〔Cartledge, 65〕。しかしながら、ナビスが軍事的成功により権力を握る以前より、既に伝統的なスパルタの制度は消えつつあった〔クセノポン「Constitution of Sparta」14〕。
アギアース家出身のクレオメネース(3世)が在位した当初のスパルタは、5名のエフォロイが国政を取り仕切っていた〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 3〕。紀元前227年、クレオメネースと共に王位にあったエウリュポーン家出身のアルキダモス5世が殺害され〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 5〕、クレオメネースは単独のスパルタ王となった。同年、クレオメネースは5人のエフォロイの内4人を殺害し、エフォロイの権限を自らに取り込むことで権力強化を図った〔。
アルキダモス5世の死後の共同統治者として、クレオメネースは自らの弟でアギアース家出身のエウクレイダースを就け、エウリュポーン家出身者は王位から外された〔。クレオメネースは社会的な改革・軍事体制の改革を実施して、国力の強化を図った〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 11〕〔ポリュビオス 2.47 〕。また、同盟関係を結んでいたプトレマイオス朝からは資金的な援助を受けていた〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 22〕が、プトレマイオス朝にとっては度々干戈を交えていたマケドニアへ対抗することが、その資金支援の背景にあった〔ポリュビオス 2.51 〕〔モムゼン 2.87 〕。
紀元前229年、スパルタがメガロポリス(Megalopolis)やなどを奇襲・占領したことをきっかけとしてアカイア同盟との間で戦争(クレオメネス戦争)が開始〔ポリュビオス 2.46 〕されたが、決戦となったセッラシアの戦い(紀元前223年または紀元前222年)でマケドニアからの支援を受けたアカイア同盟側に敗北し、多くのスパルタ軍兵士と共にエウクレイダースが戦死した〔プルタルコス「英雄伝」フィロポイメーン 5-6〕〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 28〕。なお、この戦いで同盟軍の兵士として戦った内の1人がナビス戦争にも関与するフィロポイメーンである〔〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 24〕。
敗戦後、マケドニアの追っ手から逃れてクレオメネースがエジプトへ去った〔ポリュビオス 2.69 〕〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 29紀元前222年から紀元前219年までスパルタは王が不在の共和制であったが、クレオメネースがアレクサンドリアで暗殺〔プルタルコス「英雄伝」クレオメネース 37〕された紀元前219年にアギアース家のアゲーシポリス3世とエウリュポーン家のリュクールゴスが王位に就いた〔Smith 〕。
リュクールゴスは紀元前215年にアゲーシポリスを廃位し、紀元前210年に死去するまで在位した〔。リュクールゴスの後継者はリュクールゴスの息子でエウリュポーン家出身のペロプスと、アギアース家・エウリュポーン家のいずれの家系にも属さない僭主のマカーニダースであった。
この共同統治は、マンティネイアの戦い (紀元前207年) でマカーニダースがフィロポイメーンに討たれるまで続いた〔プルタルコス「英雄伝」フィロポイメーン 10〕が、マカーニダースの死後、傭兵部隊を後ろ盾として軍事的な成功により台頭したナビスがペロプスを打倒して、王位を奪取した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナビス戦争」の詳細全文を読む




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