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ドルーリーズブラフの戦い : ミニ英和和英辞書
ドルーリーズブラフの戦い[どるーりーずぶらふのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ドルーリーズブラフの戦い : ウィキペディア日本語版
ドルーリーズブラフの戦い[どるーりーずぶらふのたたかい]

ドルーリーズブラフの戦い(ドルーリーズブラフのたたかい、英:Battle of Drewry's Bluff、またはダーリング砦の戦い、英:Battle of Fort Darling、またはドルーリー砦の戦い、英:Battle of Fort Drewry)は、南北戦争初期の1862年5月15日バージニア州チェスターフィールド郡で、半島方面作戦の一部として行われた戦闘である。鉄装甲艦USS''モニター''やUSS''ガリーナ''を含む5隻の北軍海軍の砲艦ジェームズ川を遡り、アメリカ連合国の首都リッチモンドの防御度を試そうとした。この戦隊は水面下の障害物に苦しめられ、ドルーリーズブラフ砲台からの恐ろしく正確な砲撃に遭って''ガリーナ''が大破した。北軍戦隊は撤退した。
== 背景 ==

1862年春、北軍のジョージ・マクレラン少将はリッチモンドに対する水陸共同作戦を発し、モンロー砦で上陸してバージニア半島を北西に進軍した。ヨークタウンの陥落後、南軍ジョセフ・ジョンストン将軍は半島を遡って後退し、連合国海軍の装甲艦CSS''バージニア''のみがジェームズ川下流やノーフォークの北軍による占領を妨げる存在だった。5月10日、南軍ベンジャミン・フーガー少将がノーフォークの守備隊を撤退させたとき、海軍将官ジョサイア・タットノールはジェームズ川をリッチモンドへ向かう浅い水路では''バージニア''を航行できないと判断し、5月11日に捕獲されるの避けるためにクラニー島沖で自沈させた。このことでジェームズ川はハンプトン・ローズにいた北軍砲艦の自由になることになった。
川からリッチモンドに接近する場合の唯一の障害は、リッチモンドから7マイル (11 km)下流の鋭角な川の屈曲部を見下ろすドルーリーズブラフ(崖)の上にあるダーリング砦だった。南軍守備隊には海兵、水兵および陸軍兵がおり、海軍中佐エベネザー・ファランドとサウスサイド重装砲兵隊陸軍大尉オーガスタス・H・ドルーリー(その名前を持つ資産の所有者)が監督していた〔Sears, p. 93; Eicher, p. 273,では第2バージニア砲兵隊だったと言っている。〕。砦にある大砲は8門であり、野砲もあれば、5門の艦載砲もあり、そのうちの幾つかは''バージニア''から引き上げてきたもので、川の上下流両方向に数マイルを守っていた。CSS''パトリック・ヘンリー''から持ってきた大砲には8インチ滑腔砲が含まれ、川のすぐ上流に置かれ、狙撃兵達が川岸に集合していた。水面下には沈められた蒸気船、杭、瓦礫および他の船舶が崖の真下に鎖で繋がれ、狭い川で艦船の操船を困難にしていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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