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ドリーム・シアター : ミニ英和和英辞書
ドリーム・シアター[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドリーム・シアター : ウィキペディア日本語版
ドリーム・シアター[ちょうおん]

ドリーム・シアター (''Dream Theater'') は、アメリカ合衆国プログレッシブ・メタルバンド〔であり、同種の音楽性のバンドの草分け的存在である。

ただ、マイク・ポートノイによれば、同ジャンルを作り出したのはフェイツ・ウォーニングのほうが先であったという。イエスジェネシスなどの構築的なプログレッシブ・ロックと、アイアン・メイデンメタリカなどのドラマティックな展開を持ったヘヴィメタルの双方に影響を受け、それらを各々の豊かな演奏技術と多彩なバックボーンで組み合わせたスタイルを築き上げている。その音楽性とテクニックから、日本での人気も高い。ことに双方の要素を色濃く持つ音楽性のラッシュについては、メンバーが(特にアルバム『アウェイク』の頃まで)あちこちのインタビュー等でその影響を公言していた。
== バイオグラフィー ==

*1985年ボストン市にあるバークリー音楽院に通っていたジョン・ペトルーシジョン・マイアングマイク・ポートノイの3人にペトルーシとマイアングのバンド仲間のケヴィン・ムーアが参加し、4人編成のバンドとして活動を開始する。
*1986年、ボーカルにクリス・コリンズを迎え「MAJESTY」という名前でデモテープを製作していたりしたが、11月にクリスが声域の狭さを理由に解雇される。
*1987年秋、チャーリー・ドミニシが加入する。
*1989年、1stアルバムホエン・ドリーム・アンド・デイ・ユナイト』を制作し、デビューを飾る。しかし、デビュー直前に同名のジャズ・バンドが既に存在していることがわかり、マイク・ポートノイの父親の提案した「DREAM THEATER」をバンド名とすることに決まる。因みにこの名前の由来は父親が住む町にある同名の映画館である。
*同年、いくつかコンサートを行った後、人間性・音楽性の不一致によりチャーリー・ドミニシ解雇。
*1991年、2年近くのボーカリスト不在期間を経てジェイムズ・ラブリエが加入。
*1992年に2ndアルバム『イメージズ・アンド・ワーズ』を発売。大ヒットを記録する。
:前作は「衝撃的なバンドのデビュー作」として迎えられたもののセールス的には伸び悩んだこと、プロダクションの数々の不手際(プロダクション内の不協和)、レーベルとの不協和など数々のトラブルが重なり、ライブ活動も満足に出来ない状態に置かれてしまったことから、2作目の発表までに3年を要したとされている。また、この時期にバンドは徹底的なリハーサルを重ねて実力を蓄えたとも言われる。
*1994年に3rdアルバム『アウェイク』を発表する。ジョン・ペトルーシが7弦ギターを、ジョン・マイアングが6弦ベースをそれぞれ使用。このときキーボードのケヴィン・ムーアが脱退。
:ツアー要員としてデレク・シェリニアンがヘルプで加入し、その後に正式にメンバーとして迎え入れられる。
*1995年、ミニアルバム『ア・チェンジ・オブ・シーズンズ』を発表する。表題曲は七部構成の組曲で実に23分にも及ぶ。この年、ロンドンでマリリオンのスティーヴ・ホガース、スティーヴ・ロザリーとも共演。
*1997年、4thアルバム『フォーリング・イントゥ・インフィニティ』を発表する。
*1998年、二枚組のライブアルバム『ワンス・イン・ア・ライヴ・タイム』を発表する。
*1999年、キーボードがデレクからリキッド・テンション・エクスペリメントで共演したジョーダン・ルーデスに交代。ほどなく同プロジェクトは解体される。
*初のコンセプト・アルバムとなる5thアルバム『メトロポリス・パート2:シーンズ・フロム・ア・メモリー』をリリースする。
:このアルバムは2ndアルバムの『イメージズ・アンド・ワーズ』に収録されていた楽曲「メトロポリス」の続編として製作され、全編にわたって歌詞や旋律が同曲を下敷きにしたものとなった。アルバムタイトルも"Somewhere like a scene from a memory"という同曲のラインからの発想である。
:また、ライブではこのコンセプト・アルバムが完全再現された。
*2001年、5thアルバムのツアーの最終公演に当たるN.Y.でのライブを収録したライブDVD、およびライブビデオ『メトロポリス2000』を発売する。
:それに続き同公演を収録した三枚組にも及ぶライブアルバム『ライヴ・シーンズ・フロム・ニューヨーク』を発売する。
*2002年、二枚組の6thアルバム『シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス』を発売する。
*2003年、7thアルバム『トレイン・オブ・ソート』を発売する。
*2004年、7thアルバムを引っさげたツアーで彼らにとって初めてとなる日本武道館公演を行い、その様子を収めたCD・DVD『ライヴ・アット・武道館』を同年に発売する。
*2005年、8枚目となるアルバム『オクタヴァリウム』を6月8日に発売する。
*2006年4月1日ニューヨークラジオシティ・ミュージックホールで"A VERY SPECIAL EVENING WITH DREAM THEATER"と題したワールドツアーの最終公演を行った。その様子は2006年8月にCD・DVDとして発売。
*2007年2月8日ロードランナー・レコードと契約を締結。9作目となるアルバム『システマティック・ケイオス』の発売が6月6日となることがアナウンスされた。
*2007年6月6日、9枚目となるアルバム『システマティック・ケイオス』を発売する。2007年現在は、同アルバムを引っさげたワールドツアーを行っている。今回のツアーから前座が帯同するようになり、チャーリー・ドミニシオーペスなどが前座を務めた。
*2008年1月15日、2度目の日本武道館公演を行った。
*2008年4月1日、(日本は4月9日)、初のコンピレーションアルバムとなる『グレイテスト・ヒット+21ソングス』を発売。
*2008年9月30日、(日本は11月26日)、35カ国、105都市、115公演に渡る世界各国でのツアーをまとめたライブ、ドキュメンタリーDVD、『ケイオス・イン・モーション2007-2008』を発売する。
*2009年、通算10作目でロードランナー移籍後2枚目となるアルバム『ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングズ』を発売する。
*2010年、公式HP上でマイク・ポートノイの脱退が発表される。
*2011年4月29日、(日本は4月30日)、ユーチューブのロードランナー・レコーズチャンネルにおいて、マイク・マンジーニの加入が発表された。
*2011年9月13日、(日本は9月7日)、11作目となるアルバム『ア・ドラマティック・ターン・オブ・イベンツ』をリリース。ロードランナー移籍後3枚目のアルバムとなった。
*2012年4月には4年ぶりに単独で来日し、ツアーを行った。
*2013年9月24日、(日本は9月18日)、12作目となるアルバム『ドリーム・シアター』を発売した。
*2015年9月、ツアー終了後に新譜の制作を開始し、翌年初頭にリリースすると発表。同年12月、14thアルバム『The Astonishing』を翌年1月29日に発売することが発表され、リードトラック『The Gift of Music』が公開された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドリーム・シアター」の詳細全文を読む




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