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ドゥシャン・バイェヴィッチ : ウィキペディア日本語版
ドゥシャン・バイェヴィッチ

ドゥシャン・バイェヴィッチ(Dušan Bajević、キリル文字:、1948年12月10日 -)は、ボスニアヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW
== 経歴==

===選手時代===
バイェヴィッチは1966年にFKヴェレジュ・モスタルで選手経歴を開始した。ヴェレジュでは1977年までの11シーズン在籍しリーグ戦277試合に出場し127得点を記録した。1977年にギリシャAEKアテネへ移籍すると、2度のリーグ優勝(1978年、1979年)と1度のカップ優勝(1979年)に貢献、彼自身も1980-81シーズンにリーグ得点王となった。アテネではサポーターの支持を集め、またクラブ史上において最も顕著な活躍を見せた選手の一人となった。晩年は古巣のヴェレジュ・モスタルへ復帰し、1983年に現役を引退した。
ユーゴスラビア代表としては1970年から1977年の間に国際Aマッチ37試合に出場し29得点を記録した。1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会1次リーグ、対ザイール戦ではハットトリックを決める活躍で同国の2次リーグ進出に貢献。地元開催となったUEFA欧州選手権1976にも出場した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドゥシャン・バイェヴィッチ」の詳細全文を読む




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