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トーマス・ビーチャム : ミニ英和和英辞書
トーマス・ビーチャム[びー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

トーマス・ビーチャム : ウィキペディア日本語版
トーマス・ビーチャム[びー]

第2代準男爵サー・トーマス・ビーチャム(Sir Thomas Beecham, 2nd Baronet, CH, 1879年4月27日:セント・ヘレンズ(ランカシャー州) - 1961年3月8日ロンドン)は、イギリス指揮者
== 生涯 ==
ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン)の御曹司として裕福な家庭に生まる。ピアノを学んだり家に来た音楽家から各種楽器や作曲を学び、また父に連れられて国内外のコンサートやオペラ上演を鑑賞したりもしたが、結局学校での音楽の専門的教育は受けなかった(後年、モーリッツ・モシュコフスキらから学びなおしている)。オックスフォード大学に短期間在籍(中退)後、アマチュア・オーケストラの指揮者などを経て、1899年ハンス・リヒターの代役でハレ管弦楽団を指揮し、プロの指揮者としてデビューを飾った。。
突然のプロ・デビューののち、ビーチャムは莫大な財産を惜しげも無く投じ、まずは巡業オペラ団を結成し、これは数年続いた。次にいくつかの自前のオーケストラを創設。また、この頃にディーリアスと知り合う。1910年からはロイヤル・オペラ・ハウスを自腹で借り切って、自分の思うとおりのオペラ上演を開始した。半分以上はロンドン初演で当たり外れも大きく、決して充実した実入りにはならなかったものの、足らずと損失補填分は父に借財してどうにか凌いだ。1915年にはイギリス・オペラ・カンパニーを創設、しばらくはオペラ指揮者として活動したが、1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設。また同年にロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督に就任し、再び自分の望みどおりのオペラ上演に専念できることとなった。この頃から国外での指揮活動も始め、ニューヨーク・フィルハーモニックザルツブルク音楽祭1931年)の指揮台に立った。
第二次世界大戦中はアメリカオーストラリアで活動を行い、メトロポリタン歌劇場の常連となった。その一方で、アメリカに行ったことでロンドン・フィルを手放す結果となった。戦後の1946年には新たにロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を創設、生涯にわたりイギリス音楽界に多大なる貢献をした。
1960年、ロイヤル・フィルの次期首席指揮者にルドルフ・ケンペを指名して、現役を事実上引退、翌1961年に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーマス・ビーチャム」の詳細全文を読む




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