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トーマス・セイ : ミニ英和和英辞書
トーマス・セイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トーマス・セイ : ウィキペディア日本語版
トーマス・セイ[ちょうおん]

トーマス・セイ(Thomas Say、1787年6月27日 - 1834年10月10日)は、アメリカ合衆国の博物学者動物学者探検家。特に昆虫学に造詣が深く、アメリカ昆虫学会 (ESA) の設立に寄与した人物の一人としても知られる。
== 略歴 ==
1787年6月27日フィラデルフィアクエーカーの家庭に生まれた〔Stroud 1992. p.9〕。同名の祖父トーマス (1709-1796) は薬屋、物理学者で、父ベンジャミン (1755-1813) は医師であった〔Stroud 1992. p.11〕。また曽祖父に植物学者ジョン・バートラム〔Stroud 1992. p.17〕、親戚に博物学者のウィリアム・バートラムがいる。
セイは薬剤師としての仕事の傍ら、博物学の研究を進めていた。1812年にはの設立に関わった。1816年には、ウィリアム・マクルーアの紹介で博物学者、探検家のと知りあい〔Stroud 1992. p.41〕、ルシュールは1824年まで同アカデミーに勤務することとなった。
1819年から1820年にかけて、セイはロッキー山脈〔Stroud 1992. p.108〕やミズーリ川の調査隊に動物学者として同行し、コヨーテスイフトギツネニシタイランチョウなど様々な種を新種として記載した。また1823年には、セイ主導でのミシシッピ川源流(ミネソタ川など)の長期調査を行った〔Stroud 1992. p.134〕。
1826年には、ロバート・オウエンインディアナ州で実験的に立ち上げた、共産主義的な生活と労働の共同体に参加するため、ニューハーモニーに移住〔Wilson 1984. p.118.〕 。1827年にはニューハーモニーで知り合った Lucy Way Sistare と結婚したが、そのことは周囲の限られた人にしか知らせなかった〔Stroud 1992. p.191〕。セイはその地で昆虫や軟体動物の調査を行い、多数の新種を記載した。しかし収入は乏しく、家族は生活苦を強いられた。
1834年10月10日、腸チフスによって死去〔Stroud 1992. p.256〕。47歳没。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーマス・セイ」の詳細全文を読む




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