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トンブリー朝 : ミニ英和和英辞書
トンブリー朝[あさ, ちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

トンブリー朝 ( リダイレクト:トンブリー王朝 ) : ウィキペディア日本語版
トンブリー王朝[とんぶりーおうちょう]

トンブリー王朝 (ธนบุรี)(1767年 - 1782年)は、タイの正統王朝の一つ。首都はトンブリー中国潮州系タイ人、鄭昭、タークシン王によって創設された。
今のチャックリー王朝の前の王朝にあたり、アユタヤ王朝が破壊された翌年、バンコクチャオプラヤー川西岸に建設された。その翌年の1768年8月にタークシンは、清朝に使者を派遣し冊封を求めた。しかし乾隆帝はタークシンに否定的評価を下した。清朝との交渉は1769年に好転し、交易を再開し、武器や戦略物資等の獲得の道を開いた。
一方、1769年ピマーイナコンシータマラートを占領、また同年にバッタンバンシエムリエプを併合し、東北のロムサック、南部のパタニトレンガヌをも支配下に置き、1770年にはピサヌロークとその周辺を制圧し、北部地方の統治権を奪取した。しかし、国内の4勢力を退けてもなお、現在のカンボジャ、ベトナム国境西端に脅威の勢力が存在した。1771年ハーティエンを攻撃したが失敗に終わる。1777年に西山の乱が起こり、宗主権争いをしているハーティエンの勢力を滅亡に追い込んだ。対中交渉を再開始し、数回目の使者を送り、冊封を認められ、硫黄、鉄の輸入に成功している。
タークシン王一代限り15年間続いたが、王朝末期、タークシン王が乱心をきたし、部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スックに殺され、チャオプラヤー・マハーカサット・スック(ラーマ1世)が王に就いたことで幕を閉じた。
== 関連項目 ==

* プラヤー・ピチャイダープハック


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トンブリー王朝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thonburi Kingdom 」があります。




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