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トマス・ベケット : ウィキペディア日本語版
トマス・ベケット

トマス・ベケット(''Thomas Becket'', 1118年12月21日〔Michael Walsh, ed. "Butler's Lives of the Saints." (HarperCollins Publishers: New York, 1991), p. 430.〕 - 1170年12月29日)は、イングランド聖職者カンタベリー大司教(在任:1162年 - 1170年)。
== 生涯 ==
富裕層のノルマン人両親の子息としてロンドンに生まれた。1142年ごろ、カンタベリー大司教の元に仕え、留学の後1154年に助祭長となる。〔
また、イングランド王ヘンリー2世大法官として仕えた。しかし、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、さらには他の司教の支持も失い1164年、国外へ逃亡した〔。逃亡先のポンティニー修道院は、当時追放された他のイングランドの高位聖職者達がトマス・ベケットをはじめ、多数滞在した 。
ヘンリー2世との和解は1170年に成ったものの、帰国早々またしても問題が発生した。ヘンリー2世の声が掛かった司教に対し、トマス・ベケットが懲戒を行ったものである。ヘンリー2世は当時ノルマンディーに滞在していたがこれに激怒し、その意を汲んだ4人の騎士がカンタベリーに向け渡海、12月29日の夕刻トマス・ベケットは聖堂において暗殺された。目撃者の証言によると最後の言葉は「喜んで私は、イエスの名のために、また教会を守るために死ぬ」、であったと伝えられている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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