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デュセイ・アンダーソン : ミニ英和和英辞書
デュセイ・アンダーソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アンダー : [あんだー]
 【名詞】 1. under 2. (n) under
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デュセイ・アンダーソン : ウィキペディア日本語版
デュセイ・アンダーソン[ちょうおん]

デュセイ・アンダーソン(L. Desaix Anderson, 1936年 - )は、アメリカ合衆国外交官。国務省外交部に35年間勤務し、アジア問題に精通。
== 生涯 ==
1936年に誕生〔。ミシシッピ州の農場で成長。プリンストン大学で歴史号の学士号を取得〔。カリフォルニア大学バークレー校でヨーロッパ文学を修了〔。1958年から1960年までアメリカ海軍で士官として現役勤務。その後はミシシッピ州にある家族の農場の経営を管理〔。
1962年に国務省外交部に入省〔。1963年から1964年までネパールカトマンズ大使館で総務職員として勤務〔。1964年からベトナムで国際開発庁地方代表〔。続いてベトナム革新開発プログラムの顧問役〔。1965年から1967年まで国務省ベトナム作業部会メンバー〔。
1970年から1973年まで台湾の台北大使館で政治担当官〔。1973年から1976年まで日本の東京大使館で政治担当官〔。続いて国務省政治軍事局に短期間在籍した後〔、1977年から1980年までタイ王国のバンコク大使館で副参事官(政治担当)および対インドネシア主任監視官〔。1980年から1983年までベトナム・ラオス・カンボジア部長〔。1983年から1985年まで日本部長。1985年から1989年まで駐日首席公使。1989年から1992年まで首席国務次官補代理(東アジア・太平洋担当)として日本・朝鮮・中国・モンゴルを担当〔。1992年から1993年までプリンストン大学およびラトガース大学で在住外交官という形で出張し、東アジア政治経済の講義を担当〔。1993年から1994年までは国務省調整官(アジア太平洋経済協力担当)を務め、クリントン大統領主催によるシアトルでの閣僚・首脳会議を調整〔。続いて1994年から1995年まで政策企画本部上級委員(アジア担当)。ベトナムとの国交樹立に伴い、1995年から1997年まで駐ベトナム臨時大使。1997年5月に国務省外交部を退職〔。
1997年、国務省カンボジア特使〔。1997年から2001年まで朝鮮半島エネルギー開発機構事務局長〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デュセイ・アンダーソン」の詳細全文を読む




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