翻訳と辞書
Words near each other
・ デニー・ハルム
・ デニー・ビル
・ デニー・ビール
・ デニー・ボーティスタ
・ デニー・マクナイト
・ デニー・マクレイン
・ デニー・マクレーン
・ デニー・マックナイト
・ デニー・モイヤー
・ デニー・ランツァート
デニー・レイン
・ デニー・友利
・ デニー友利
・ デニー白川
・ デネ
・ デネシュ
・ デネス・ケーニヒ
・ デネソール
・ デネット
・ デネブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

デニー・レイン : ミニ英和和英辞書
デニー・レイン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デニー・レイン : ウィキペディア日本語版
デニー・レイン[ちょうおん]

デニー・レイン (Denny Laine) の芸名で知られるブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズ(Brian Frederick Arthur Hines、1944年10月29日 - )は、イギリスバーミンガム出身のミュージシャン
ボーカルの他、ギターベースハーモニカキーボードと様々な楽器をこなすマルチプレイヤーであり、作詞作曲も手がける。
ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のオリジナル・ギタリスト兼シンガーであり、特にポール・マッカートニー率いるウイングス(Wings)では、結成当時からの活躍が有名。
==経歴==

===初期〜ムーディー・ブルース===
バーミンガムのヤードリー・グラマー・スクール在学中に、ジプシー・スウィングの伝説的プレイヤージャンゴ・ラインハルトの影響を受けてギターを手にする。
12歳の時に初ステージを踏み、後にエレクトリック・ライト・オーケストラでプレイするベヴ・ベヴァンとともにデニー&ザ・ディプロマッツを結成し、プロとしてのキャリアをスタートする。
1964年マイク・ピンダーとともにディプロマッツを脱退し、ムーディー・ブルースを結成。ヒット曲「ゴー・ナウ」(''Go Now'')など多くの曲でリードを取るが、徐々にシンフォニック・ロック的なサウンドを志向し始めたグループとの音楽性の違いから、1966年に脱退。
ムーディー・ブルース脱退後、後のエレクトリック・ライト・オーケストラに似たストリングス・セクションを持つエレクトリック・ストリング・バンドを結成、ギターとボーカルを担当した。彼らはデラム・レコードから2枚のシングル(「セイ・ユー・ドント・マインド」(''Say You Don't Mind'')、「トゥー・マッチ・イン・ラヴ」(''Too Much In Love''))をリリースし、ジミ・ヘンドリックスプロコル・ハルムらとロンドンサヴィル・シアターのステージにも立った。しかし、知名度はそれほど上がらず、エレクトリック・ストリング・バンドは解散。
1970年にはジンジャー・ベイカーのバンド、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースに加入するがこれも短命に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デニー・レイン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.