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ディナモ・ブカレスト : ミニ英和和英辞書
ディナモ・ブカレスト[れすと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

レスト : [れすと]
 【名詞】 1. rest 2. (n) rest

ディナモ・ブカレスト ( リダイレクト:FCディナモ・ブカレスト ) : ウィキペディア日本語版
FCディナモ・ブカレスト[えふしーでぃなもぶかれすと]

FCディナモ・ブカレスト(, )は、ルーマニアブカレストを本拠地とするサッカークラブチーム。リーガ1で18回、クパ・ロムニエイで13回、スーペルクパ・ロムニエイで2回優勝しており、FCステアウア・ブカレストと並んでルーマニアでもっとも成功を収めた2クラブのひとつである。
1948年に設立され、それ以来すべてのシーズンをリーガ1で過ごしている。伝統的にホームユニフォームは全身赤色であり、現在のエンブレムは1998年に修正された版である。1951年から、ブカレスト市内中心部にあるスタディオヌル・ディナモをホームスタジアムとしている。1983-84シーズンのUEFAチャンピオンズカップではベスト4となり、同大会で準決勝に進出したルーマニア初のクラブとなった。最大のライバルはステアウアであり、両クラブの対戦はエテルヌル・デルビー(エターナル・ダービー、永遠のダービー)と呼ばれる。
== 歴史 ==

=== 黎明期 ===
1948年5月14日、ウニレア・トリコロールMAIがチオカヌル・ブカレストと合併し、ディナモ・ブカレストという名称の総合スポーツクラブが創設された。ウニレア・トリコロールMAIは1948年1月に設立されていた、共産主義政権の庇護の下にあったクラブである。ディナモ・ブカレストもルーマニア共産党を象徴するスポーツクラブとなり、体制側のクラブという側面が常に付きまとった 。1947-48シーズンのリーグ戦が終わるまでは、チオカヌルがディナモA、ウニレア・トリコロールがディナモBという扱いだったが、ウニレア・トリコロールはシーズン終了後にディヴィジアB(2部)降格となった。両チームはディナモのAチーム、Bチームとして共存していたが、1950年シーズン開幕時にはディナモAがディナモBから分割され、ディナモBはまずブラショヴに、次にクルジュ=ナポカに、結局は1958年にバカウに移転し、FCMバカウとなった。
1948年7月14日、Zidnice(チェコスロバキア)と初の国際試合を戦い、4-1で勝利した。1948-49シーズンには(ディナモAが)ディナモという名称で初めてリーガ1(1部)に参戦。コロマン・ブラウン=ボグダン監督がチームを率い、ティトゥス・オゾン〔1952年シーズンと1953年シーズンにリーグ得点王となった。〕などの選手たちがプレーした。1948-49シーズン終了後にはアンジェロ・ニクレスクが現役引退。指導者に転身し、後にディナモやルーマニア代表の監督を務めている。1950年にはドゥミトル・ニコラが加入。1951年10月14日には現在のディナモ・スタジアムがオープンし、ディナモ=ロコモティーヴァ・ティミショアラとの間で行われた落成記念試合に1-0で勝利した。1951年シーズンから1953年シーズン〔秋春制で行われた1948-49シーズン以前や1957-58シーズン以降とは異なり、1950年シーズンから1956年シーズンまでは春秋制で行われた。〕までの3シーズンは、いずれもCCAブカレスト(現在のステアウア)に次ぐ2位でシーズンを終えた。1954年のクパ・ロムニエイでは決勝に進出したが、メタルル・レシツァに0-2で敗れた。ニクレスク監督が率いた1955年シーズンには、アレグザンドレ・エネ〔1954年シーズンに得点王となった。1960年代に在籍したストライカーのゲオルゲ・エネと区別するために、アレグザンドレはエネⅠ、ゲオルゲはエネⅡと呼ばれる〕などの攻撃陣による攻撃サッカーで強い印象を与え、リーガ1初優勝を飾った。守備陣にはバクト、スゾコ、カリノユなどがおり、リーグ最少の19失点に抑えた。1956-57シーズンには初めてUEFAチャンピオンズカップに出場。ルーマニアで初めて国際大会に出場したクラブとなった。予選ではガラタサライSK(トルコ)と対戦。32,000人の観客が詰めかけたホームでのファーストレグには3-1で勝利し、イスタンブルでのセカンドレグには1-2で敗れたものの、2試合合計4-3で勝ち上がりを決めた。1回戦ではCDNAソフィア(ブルガリア)と対戦し、2試合合計4-10で敗れて敗退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「FCディナモ・ブカレスト」の詳細全文を読む




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