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ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ : ミニ英和和英辞書
ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ : ウィキペディア日本語版
ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ[ちょうおん]

ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ(Diego Alatriste y Tenorio, 1582?-1644)は、20世紀末から21世紀初頭のスペインを代表する作家、アルトゥーロ・ペレス=レベルテの小説「アラトリステ隊長の冒険」シリーズに登場する架空の剣士傭兵である。以下、本項では小説におけるアラトリステについて紹介する。2006年製作の映画「アラトリステ」におけるディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオの経歴は小説版とは異なる。
== 経歴 ==

1582年頃、スペインレオン地方Región de León)、現在のカスティーリャ・イ・レオン州レオンに生まれる〔各言語版の単行本6巻5章参照のこと〕。
郷士の次男として生まれたディエゴは13歳の時に家を出ると、年齢を偽って傭兵となり、オーストリア大公アルブレヒト7世に従ってネーデルラントに赴いたとされる。1609年、バレンシアイスラム教徒の反乱鎮圧に参加した後、ナポリに渡ってナポリ駐留のスペイン艦隊の海兵隊兵士となる。1613年にはコンスタンティノポリスで乗り込んでいたガレー船が拿捕され、オスマン帝国軍の捕虜となるが、同年のうちに解放され、1615年まで引き続きスペイン艦隊に参加する。この間、ケルケーナ諸島でオスマン帝国軍と戦った際、後に彼の庇護者となるグアダルメディーナ伯爵家の跡取り息子、アルバロ・デ・ラ・マルカの命を救う。
1615年にナポリで痴話喧嘩から傷害事件を引き起こし、スペイン本国に逃亡。しばらくの間セビージャの大聖堂に潜伏し、暗殺代行で糊口を凌ぐ。この時、セビージャの裏社会に人脈を広げる。
その後、再びネーデルラントに向かってそこで傭兵となり、三十年戦争に皇帝軍として参加する。1620年の白山の戦いで華々しい手柄を立てるも、1622年のフルーリュスの戦いで負傷しマドリードに行く。この時、イニゴ・バルボアを引き取って従者とする。
1624年、イングランドの皇太子チャールズ(後のチャールズ1世)とバッキンガム侯爵(ジョージ・ヴィリヤーズ、作中で公爵となる)のマドリード訪問に伴うスペイン宮廷の陰謀に巻き込まれる(『アラトリステ』)。その後、従者のイニゴ・バルボアがスペイン異端審問所に拘留される事件が起き(『アラトリステ2:異教の血』)、ほとぼりを冷ます為に三度ネーデルラントに渡ってアンブロジオ・スピノラ麾下のスペイン陸軍に入隊。カルタヘナ歩兵連隊のカルメロ・ブラガド中隊に所属してブレダ攻城戦に参加する(『アラトリステ3:ブレダの太陽』)。
その後、1626年にカディス経由でスペインに帰還。セビージャとサンルーカル・デ・バラメーダを舞台としたアメリカ大陸の金塊の密輸事件の摘発に協力する(『アラトリステ4:帝国の黄金』)。マドリードに戻ったアラトリステは暗殺代行の仕事を再開するが、当時スペイン演劇界の寵児であったティルソ・デ・モリーナの新作演劇の主演女優マリア・デ・カストロを巡ってスペイン王フェリペ4世と争うことになる(『アラトリステ5:黄衣の貴人』)。
1627年、独立して正式にスペイン軍に入隊したイニゴとともにナポリに赴き、新造されたガレー船ムラタに搭乗。地中海各地を転戦する(''Alatriste6: Corsarios de Levante'')。
1630年代前半までマドリードに留まるが、1634年のネルトリンゲンの戦いにはイニゴとともに参加したとされる。数々の冒険を重ねた後、1644年、再びカルタヘナ歩兵連隊に加わってロクロワの戦いで戦死(イニゴによれば「立ったままで息絶えていた」とされる)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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