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テリー・カー : ミニ英和和英辞書
テリー・カー[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

テリー・カー : ウィキペディア日本語版
テリー・カー[かー]

テリー・カー(Terry Gene Carr、1937年2月19日 - 1987年4月7日)〔 p.1〕は、アメリカ合衆国SF作家アンソロジスト編集者
== 経歴 ==
オレゴン州グランツ・パス(Grants Pass)生まれ。1954年サンフランシスコのシティ・カレッジに入学。1957年カリフォルニア大学バークレー校に移り、1959年卒業。
1949年、SFファンダムの存在を知り、熱心なファンジン出版者となった。そのことが後に商業出版の編集者となる素地を作った。カーともう1人のSFファンは架空のSFファン「カール・ブランドン」を作り上げ、それが広く知られるようになり、カール・ブランドン協会 (Carl Brandon Society) はそれに因んで名付けられた。SFのプロとして経歴を積み上げる一方で、カーはSFファンとしての活動も死ぬまで継続し、ヒューゴー賞ベスト・ファンジン部門には5回ノミネートされ(1959-1961年と1967-1968年)、1959年にロン・エリックと共同編集した雑誌『FANAC』で受賞し、ベスト・ファンライター部門にも3回ノミネートされ(1971-1973年)、1973年に受賞した。また、1986年のワールドコンにはファン・ゲストとして招待された。
1961年ニューヨークに転居し、作家活動を開始した。作家としてのデビュー作は「Who Sups with Devil?」(『F&SF』誌1962年5月号)だが、徐々に編集の仕事に重点を置くようになる。1962年から1964年までスコット・メレディス社に勤務し、1964年からエース・ブックス社に編集者として勤務。そこで ''Ace Science Fiction Specials'' というシリーズを立ち上げる。これには例えばアーシュラ・K・ル=グウィンの『闇の左手』やアレクセイ・パンシンの『成長の儀式』といった有名作品も含まれていた。
エース・ブックスを率いていたドナルド・A・ウォルハイムと意見の食い違いから対立するようになり、フリーランスの編集者となった。''Universe'' というオリジナル・アンソロジーと年間ベストSF作品を集めた ''The Best Science Fiction of the Year'' というアンソロジーを1972年から亡くなった1987年まで毎年刊行した。また、その間に他のアンソロジーも多数手がけた。ヒューゴー賞の編集者部門には13回ノミネートされ(1973-1975年、1977-1979年、1981年-1987年)、2回受賞している(1985年、1987年)。1985年に受賞した当時は、フリーランスの編集者として初の受賞だった。
1978年には、ミシガン州立大学クラリオン・ワークショップの講師を務めた。このときの受講者にはパット・マーフィーリチャード・キャドリーがいた。
彼のファンジンのコレクションは、カリフォルニア大学リバーサイド校Eaton collection of Science Fiction の一部となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テリー・カー」の詳細全文を読む




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