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チューダー・ロッジ(Tudor Lodge)は、イギリスの男女混声によるフォーク・バンド。1971年にトリオ編成でデビューするが、解散・再結成を経て、デュオに移行。 == 来歴 == 1968年、ジョン・スタナードとロジャー・スティーヴンスのフォーク・デュオとしてレディングで結成される。1969年末にロジャーが脱退し〔『It All Comes Back』英文ライナーノーツ(Bart Wise、1997年12月)〕、リンドン・グリーンがその穴を埋める。1970年夏には、アメリカ生まれの女性歌手アン・ステュワートが加わり、3人編成となる〔。 1971年、デビュー・アルバム『Tudor Lodge』をヴァーティゴから発表。メンバー3人の他、ペンタングルのダニー・トンプソンとテリー・コックス等のゲスト・ミュージシャンも迎えて制作された。同作はヒットに至らなかったが、6面開きの凝った変形ジャケットも相まって、後に中古レコード市場で高いプレミアが付くこととなる〔『ブリティッシュ・フォーク&トラッド・ロック 増補改訂版』(小西勝・監修、ストレンジ・デイズ、2008年、ISBN 978-4-902342-19-2)p.208〕。なお、2000年にユニバーサルミュージックから発売された日本盤紙ジャケットCD(カタログ番号:UICY-9030)では、変形ジャケットが忠実に再現された。しかし、ほどなくアンが脱退。アンはその後、カーヴド・エア『Phantasmagoria』(1972年)収録曲「Melinda (More or Less)」でフルートを担当。バンドは、アンの後任にリンダ・ピーターズを迎え、1972年初頭にオランダ・ツアーを行うが、イギリスに戻りわずかな回数のライヴを行った後、リンダも脱退。チューダー・ロッジは解散状態となった。なお、リンダは後にフェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソンと結婚し、リンダ・トンプソン名義で歌手活動を行う。 1980年、オリジナル・メンバー3人により一時的に再結成されるが、間もなくアンが脱退し、リン・ホワイトランドが加入。しかし、1985年にリンドンがオーストラリアに移住したため、チューダー・ロッジはジョンとリンのデュオとなる〔。目立つ活動こそなかったが、2人はレコーディングやライヴを続け、1997年、26年ぶりのアルバム『Let's Talk』発表。同作には、リンドン脱退前の録音も含まれている。同時期に、1971年から1997年にかけてのアウトテイクやライヴ音源を収録したコンピレーション・アルバム『It All Comes Back』発表。 1999年、リン加入後としては2作目のオリジナル・アルバム『Dream』発表。現イット・バイツのジョン・ミッチェルがレコーディングエンジニアを務め〔『ドリーム』日本盤CD(MICY-1136)ライナーノーツ(内田哲雄)〕、日本では、発売元のアヴァロン・レーベルが独自にデザインしたジャケットで発売された。同年9月、初の日本公演が行われ、当時日本在住だったリンドン・グリーンもゲスト参加。ジョンとリンはその後も、ミュージシャン以外の本業と並行して〔『ランナウェイ』日本盤CD(BELLE 03809)ライナーノーツ(内田哲雄、2003年)によれば、ジョンは金融会社勤務で、リンはコンピュータのオペレーター〕、デュオとして活動を続ける。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チューダー・ロッジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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