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チカマウガの戦い : ミニ英和和英辞書
チカマウガの戦い[ちかまうがのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

チカマウガの戦い : ウィキペディア日本語版
チカマウガの戦い[ちかまうがのたたかい]

チカマウガの戦い(チカマウガのたたかい、英:Battle of Chickamauga)は、南北戦争西部戦線における、テネシー州中南部とジョージア州北西部で1863年9月18日から20日に行われた戦闘である。チカマウガ方面作戦と呼ばれる北軍攻勢の最後の戦闘だったが、北軍は西部戦線では最大の敗北を喫した。
対戦したのは北軍 ウィリアム・ローズクランズ 少将指揮するカンバーランド軍と南軍ブラクストン・ブラッグ将軍指揮するテネシー軍であり、戦闘名はチャタヌーガ中心部の北東約3.5マイル (5.6 km)でテネシー川に注ぐチカマウガ・クリークから採られた。
== チカマウガ方面作戦初期の動き ==
北軍ローズクランズは1863年夏のタラホーマ方面作戦ではテネシー州マーフリーズバラから南東に動いて、わずか560名の損失だけでブラッグ軍をテネシー州チャタヌーガまで追い遣ることに成功した。チャタヌーガを占領できればジョージア州アトランタやその先の南部中心を襲うためのドアが開かれるということだった。総司令官ヘンリー・ハレックはローズクランズに早く動いてチャタヌーガを取るようにせっついていた。エイブラハム・リンカーン大統領は「チャタヌーガを支配する者は戦争に勝利できる」と宣言した。チャタヌーガは南軍にとっても重要だった。その場所はルックアウト山、ミッショナリー・リッジ、ラクーン山およびストリンジャー・リッジに囲まれ戦略的重要さがあった。さらにチャタヌーガ鉄道中継点(北のナッシュビルノックスビルに向かう線と南のアトランタに向かう線)であり、航行可能なテネシー川に沿っているので、金融、商業および製造(製鉄とコークス)の中心だった。

ローズクランズは数週間遅延したが、遂に8月16日に攻勢を再開し、南軍の南からの供給線を脅かすことでチャタヌーガから追い出そうと図った。その経路での大きな障害はテネシー川だった。ローズクランズはケイパートン・フェリーでの渡河をブラッグ軍から妨害されないように陽動作戦を工夫した。第二次チャタヌーガの戦いはその陽動作戦の一部だった。第14軍団のジョン・T・ワイルダー大佐がチャタヌーガ近くに1個旅団を移動させ、2週間に渡って市内を砲撃し、ブラッグに北軍が進軍する方向を分からないようにした。ローズクランズ軍は抵抗無しにテネシー川を渉った。そこで直面したジョージア州北西部の地形は厄介なものであり、ルックアウト山やミッショナリー・リッジと呼ばれる長く連なった岩だらけの山岳であり、そこの道路網はお粗末だった。

ブラッグと南軍の指導層はこの展開に神経質になっており、ブラッグ軍を補強する手筈を取った。ジョセフ・ジョンストン将軍は9月4日までにミシシッピ州からハイラム・T・ウォーカー少将の1個師団を派遣し、ロバート・E・リー将軍はバージニア州からジェイムズ・ロングストリート中将の1個軍団を派遣した。
ローズクランズ軍の3個軍団はその移動に適した3つしかない道を分かれて進んだ。右手は、アレクサンダー・マクック少将の第20軍団アラバマ州バレーヘッドに向けて南西に進んだ。中央は、ジョージ・ヘンリー・トーマス少将の第14軍団で州境を越えたトレントンに進んだ。左手は、トマス・L・クリッテンデン少将の第21軍団でルックアウト山を回って直接チャタヌーガに進んだ。9月8日、ブラッグはローズクランズ軍が背後で川を渉ったことを知り、チャタヌーガを明け渡して、ジョージア州ラファイエットに向けてラファイエット道路を南に移動した。ブラッグはローズクランズ軍の配置に気付いており、その孤立した軍団を一つずつ叩くことで打ち破ろうと考えた。北軍の軍団は互いに40マイル (65 km)以上離れており、支援し合うには離れすぎていた。
ローズクランズはブラッグ軍の士気が落ちており、ダルトン、ロームあるいはアトランタまで逃亡すると考えていた。しかし、ブラッグ軍はチャタヌーガから20マイル (32 km)ほど南のラファイエットで宿営した。脱走兵の振りをした南軍兵は手間をかけてこの宿営所に戻った。ローズクランズはマクックにウィンストンズ・ギャップでルックアウト山を抜け、その騎兵隊を使ってレサカでブラッグ軍の鉄道供給線を破るよう命じた。クリッテンデンはチャタヌーガを占領し、続いて南に転じてブラッグ軍を追跡することとされた。トーマスはラファイエットに向けた進軍を続けた。9月10日、トーマス軍団のジェイムズ・ネグリー少将の先遣師団が南軍トマス・C・ヒンドマン少将師団と遭遇し、ピジョン山のダグ・ギャップで小競り合いが起こった。この小戦闘はデイビス交差点の戦いと呼ばれた。この遭遇後、ネグリーの北軍はルックアウト山のスティーブンズ・ギャップまで後退した。

ブラッグはクリッテンデン軍団を攻撃することに決め、9月13日早くにレオニダス・ポーク少将にポーク軍団とウォーカー軍団で、クリッテンデン軍団の先遣師団であるトマス・J・ウッド准将の師団を攻撃するよう命じた。クリッテンデン軍団は分散しているものと見ていた。しかし、ポークはクリッテンデン軍団が実際には集結しているのを認識し、攻撃しないことに決めてブラッグを激高させた。3日間のうちに2度までもブラッグはその部下にタイミング良く攻撃させることができず、ローズクランズ軍は遅ればせながらその戦力を集結させた。
9月17日までに北軍の3個軍団は互いに接近し、個別に撃破される怖れが減った。しかしブラッグはまだチャンスがあると思っていた。バージニア州からジェイムズ・ロングストリート中将の部隊とミシシッピ州からブッシュロッド・ジョンソン准将の部隊が到着して補強され、9月18日の朝にクリッテンデン軍団の左翼に出てチャタヌーガの補給基地から北軍3個軍団を遮断しようと決めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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