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チェスター・W・ニミッツ・ジュニア : ミニ英和和英辞書
チェスター・W・ニミッツ・ジュニア[ちぇすたーだぶりゅーにみっつじゅにあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジュニア : [じゅにあ]
 【名詞】 1. junior 2. (n) junior

チェスター・W・ニミッツ・ジュニア : ウィキペディア日本語版
チェスター・W・ニミッツ・ジュニア[ちぇすたーだぶりゅーにみっつじゅにあ]

チェスター・ウィリアム・ニミッツ・ジュニアChester William Nimitz.Jr.1915年2月17日 - 2002年1月2日)は、アメリカ海軍の軍人。第二次世界大戦中の太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツの長男。最終階級は少将
== 経歴 ==
1915年2月17日ニューヨーク州ブルックリン海軍工廠の病院で父チェスター・ニミッツと母キャサリン・ヴァンスの間に生まれる。当時父ニミッツはブルックリンのワシントン通り415番地に住んでおり、ブルックリン海軍工廠で給油艦モーミーの建造に従事していた。家族は父母のほか前年に生まれた姉ケイトがいた。1936年アナポリスを卒業し少尉に任官する。1941年太平洋戦争開戦時はフィリピン沖で潜水艦乗組員として勤務についていた。1938年6月18日、メア・アイランド海軍造船所でニカラグア出身のイギリス系アメリカ人女性ジョアン・レオナ・ラベーンと結婚した。ニミッツ・ジュニアは彼女との間にフランシス・メアリー、エリザベス・ジョーン、サラ・キャサリンの三人の娘を儲けたが、息子には恵まれなかった。1945年には中佐に昇進し、サーダ艦長に着任が予定されたが、進水の9日前に日本がポツダム宣言を受諾、全軍に戦闘停止命令が下ったことからこれ以上の戦力増強は不要となり、サーダはスクラップか就役かで激論が戦わされることとなる。ニミッツ・ジュニアは艦を救うべく数ヶ月に及ぶ議論を戦わせた。最終的にサーダはニミッツ・ジュニアの指揮下で1946年4月19日に就役した。
1957年大佐で退役、退役軍人名簿上では名誉少将となる。退役後は会社員となり複数の企業に勤務した。
2002年、健康状態の悪化を苦にして妻と共に自殺した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チェスター・W・ニミッツ・ジュニア」の詳細全文を読む




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