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ダスティン・ペドロイア : ミニ英和和英辞書
ダスティン・ペドロイア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ダスティン・ペドロイア : ウィキペディア日本語版
ダスティン・ペドロイア

ダスティン・ルイス・ペドロイアDustin Luis Pedroia, 1983年8月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウッドランド出身のプロ野球選手内野手)。現在は、MLBボストン・レッドソックスに所属。
== 略歴 ==
に、アリゾナ州立大学からMLBドラフト2巡目(全体65位)でボストン・レッドソックスに指名され、7月21日に契約。大学時代のチームメイトにはイアン・キンズラーアンドレ・イーシアー、、トラビス・バックらがいる。
8月17日に、レッドソックスでメジャーデビューを果たした。しかし、2006年は目立った成績を残すことは出来なかった。2006年オフにマーク・ロレッタヒューストン・アストロズに移籍したため、は、本来のポジションは遊撃手ながら、二塁手のレギュラーとして開幕を迎えた。
2007年は4月の月間打率は.182だったが、5月の打率は.415を記録。ア・リーグ第9週に当たる5月28日から6月3日にかけて、出場した全6試合でヒットを放ち、そのうち3試合で「猛打賞」の固め打ち。特に6月1日からのニューヨーク・ヤンキースとの3連戦では、14打数8安打、5打点の活躍で、その週のMVPに選出されると共に、5月の月間最優秀新人にも選出された。このシーズンは打率.317・8本塁打・50打点を記録し、アメリカンリーグの新人王のタイトルを獲得した。
は6月に打率が2割6分台まで下がったが、後半戦は好調で打率.345を記録した。トータルでは.326でジョー・マウアーと2厘差で首位打者のタイトルを逃したが、得点(118)・安打(213)・二塁打(54)の3部門でリーグ1位となった(200安打・50二塁打は球団史上3人目)〔。テリー・フランコーナ監督が「どんな展開でも、人生最後のゲームのように懸命にプレーする」と評し、チームに好影響を与えた〔出野哲也「MVPの栄冠を手にするにはだれか? 両リーグの候補者たちのセールス&ウィークポイントを徹底検証!」『スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-12、14頁〕。マニー・ラミレスが移籍し、デビッド・オルティーズマイク・ローウェルJ・D・ドリューらなど故障者が続出したチームの穴を埋め、ポストシーズン進出のキーマンとなった〔「ボストン・レッドソックス 」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2008』、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 20449-11/20、27項。〕。
シーズン終了後にはゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を受賞。そしてカル・リプケンライアン・ハワードに次いで史上3人目となる新人王の翌年にMVPを受賞した。12月3日にはレッドソックスと総額4,050万ドルの6年契約(2015年・1100万ドルの球団オプション付き)に合意した。
2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表に選出され、大会では主に2番打者として起用されるが、練習で左脇腹を痛め2次ラウンドから登録を外れる。のシーズンでは、多くの部門でMVPを獲得した前年を下回ったものの、打率.296・15本塁打・72打点という数字を記録。盗塁も2年連続で20ちょうどを決め、得点(115)はリーグ1位の数字である。また、目立たないながら四球を24個増やすとともに三振を7個減らし、四球が三振を29上回った。四球を多く選んだ事で、前年と比べて打率は.030落ちた一方で、出塁率は.005しか差がない。
は、6月24日コロラド・ロッキーズ戦で1試合3本塁打を記録するなど、75試合で12本のホームランを放っていた。しかし、翌6月25日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で自打球を足に当て、舟状骨を骨折した為、DL入りする事になった。8月に一度復帰したものの、まだ痛みが残っていた為、2試合に出ただけで再度DL入りとなった〔。この年は75試合の出場にとどまり、12本塁打41打点9盗塁、打率.288だった。
は159試合に出場し、21本塁打91打点26盗塁、打率.307と自己最高の成績を残した。オフには3年ぶり2度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。
は141試合に出場し、15本塁打65打点20盗塁、打率.290だった。
7月には3年ぶりとなるオールスターゲームに選出され、7月24日にはレッドソックスと総額1億1000ドルの8年契約に合意した。この年はチーム最多の160試合に出場し、9本塁打84打点17盗塁、打率.301だった。オフには2年ぶり3度目のゴールドグラブ賞を受賞した。
5月2日のオークランド・アスレチックス戦でシーズン初本塁打を放ち、メジャー通算100本塁打に到達した。レッドソックス在籍中に100本塁打・100盗塁を達成したのは、カール・ヤストレムスキー以来球団史上2人目の快挙となった。9月11日、左手首の手術を受けたことを球団が発表。シーズンの残りの試合はすべて欠場した。本人の述べる所によれば、左手首の問題は4月4日の本拠地開幕戦から慢性的に続いていたという〔。その影響もありこの年は、打率・出塁率・長打率などの打撃成績は軒並みレギュラー定着後で最低を記録した。しかし、オフには2年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。
は、93試合の出場に留まった。打撃面では打率.291・42打点という成績を残したほか、3シーズンぶりの2ケタ本塁打となる12本塁打を放った。守備面では守備率.990以上・DRS + 10以上をコンスタントに記録していたが、この年は6失策を犯して守備率.986・DRSも - 3に転じるなど、大きく数字を落とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダスティン・ペドロイア」の詳細全文を読む




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