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ソビエト連邦共産党中央委員会 : ミニ英和和英辞書
ソビエト連邦共産党中央委員会[そびえとれんぽうきょうさんとうちゅうおういいんかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
連邦 : [れんぽう]
 【名詞】 1. commonwealth 2. federation of states 
: [ほう, くに]
 (n) country
: [ども]
  1. (suf) indicates plural - humble referring to oneself, disdainful referring to others 
共産 : [きょうさん]
 【名詞】 1. communism 
共産党 : [きょうさんとう]
 【名詞】 1. Communist Party 
共産党中央委員会 : [きょうさんとうちゅうおういいんかい]
 (n) Central Committee of the Communist Party
: [うぶ]
  1. (adj-no) innocent 2. naive 3. unsophisticated 4. inexperienced 5. green 6. wet behind the ears
: [とう]
  1. (n,n-suf) (1) party (political) 2. (2) faction 3. -ite 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中央 : [ちゅうおう]
 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle 
中央委員会 : [ちゅうおういいんかい]
 (n) central committee
委員 : [いいん]
 【名詞】 1. committee member 
委員会 : [いいんかい]
 【名詞】 1. committee meeting 2. committee 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

ソビエト連邦共産党中央委員会 : ウィキペディア日本語版
ソビエト連邦共産党中央委員会[そびえとれんぽうきょうさんとうちゅうおういいんかい]

ソビエト連邦共産党中央委員会(ソビエトれんぽうきょうさんとうちゅうおういいんかい)は、ソビエト連邦共産党(以下「ソ連共産党」と表記)の最高(意思決定)機関である。
, ЦК КПСС; Tsentralniy Komitet Kommunistitcheskoi Partii Sovetskogo Soyuza(= TsK KPSS),ЦК(ツェーカ)
(= CC CPSU)
== 役割 ==
党中央委員会は、党則に従って1回1回の(党大会)の間に党と政府の活動の全てを指揮する。中央委員会の委員は5年ごとの党大会で選出される。政治局の委員は中央委員会に報告されて選出されることに加え、書記局から成る中央委員会の書記も選出される。中央委員会はまた、党書記長も同様に選出する。1919年から1952年までは、中央委員会総会によって政治局と組織局(:en:Orgburo)もまた同様に選出された。
中央委員会という存在の大部分の権限は、滅多に開かれない会議や多数の党員によって制限を受けており、本当の権限は政治局が握っていた。委員会は、政治局の決定への合意の雰囲気を作ってゴム印が押されるための役割として機能していた。委員会は、1日か2日続く会議が年に2度開かれるのみであった。主要な出来事(新しい計画の発表、もしくは新任の書記長の選出)の前に、特別の本会議が開催された。
1917年から1934年までは、中央委員会は政治的議論が行われた場所(「議会」)としての役割を大体は果たしていた。しかし、ときおり現れる反対者の多くは、1934年から1939年にかけての第17回および第18回党大会にて、ヨシフ・スターリン大粛清で犠牲となった。それゆえ、中央委員会の役割はスターリンが死ぬまでほとんど存在しなかった。1953年のスターリンの死後、本来の機能に戻る前に中央委員会の役割を再生させた集団指導体制の期間があった。しかしながら、委員会はニキータ・フルシチョフの活動において重要な役割を果たす。1957年、中央委員会は党指導者であるフルシチョフの解任の決定を幹部会(政治局による改名)によって覆した。ソ連邦元帥ゲオルギー・ジューコフKGB議長のイワン・セーロフの助力により、各地の中央委員たちを急遽モスクワに集結させ、中央委員会総会の開催が決定された。これにより、フルシチョフの解任は総会に持ち越されたのである。反フルシチョフ派に対して中央委員会によるフルシチョフへの支持を集めた(→反党グループ事件参照)。しかし、フルシチョフは7年後の1964年10月14日の会議で失脚した。
1985年3月、中央委員会は、強硬派のヴィクトル・グリシンとわずか1票差で、次の党書記長に改革派のミハイル・ゴルバチョフを選出するという画期的な決定を下した。
1991年ソ連8月クーデターの失敗により、ソ連共産党は解散・消滅した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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