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セント・キルダ : ウィキペディア日本語版
セント・キルダ

セント・キルダSt Kildaスコットランド・ゲール語:Hiort)は、イギリス領の孤立した群島。北大西洋、ノース・ウイスト島の64km西北西にある。スコットランドアウター・ヘブリディーズの最西端の島々である〔Excluding the isolated pinnacle Rockall, the status of which is a matter of international dispute. See for example, MacDonald, Fraser (2006) ''The last outpost of Empire: Rockall and the Cold War'' Journal of Historical Geography. 32 pages 627-647. Retrieved 1 August 2007〕。最大の島はヒルタ島で、イギリスで最も高い、海岸に面した断崖絶壁がある。その他はダン島、ソアイ島、ボーレー島である。これらの島は家畜の放牧や海鳥の猟が行われていた。セント・キルダは行政上はComhairle nan Eilean Siarのローカル・オーソリティー・エリアに属する〔Steel (1988) page 254.〕。
セント・キルダには少なくとも2000年間、人が暮らしてきた歴史があったが、人口はおそらく180人を超えることはなかっただろう(1851年以降は100人を切った)。1930年、4島のうち唯一の有人島であったヒルタから住民全体が避難した。夏のあいだは科学者たちや保全作業員、ボランティアがやってくるものの、現在、唯一1年を通じて島に暮らすのは、防衛担当者だけである〔〔"The new residents of St Kilda archipelago" . (29 August 2010). BBC News. Retrieved 29 August 2010.〕。
セント・キルダという名称の起源は推測だけである。島の文化遺産には、有史以前の時代からの様々なユニークな建築の構造が含まれている。しかし島での生活を記した最古の記録は中世後期以降のものである。Hirtaにある中世の村は19世紀に再建された。しかし、宗教的な熱意が影響して、観光を通じて外部との接触の機会が増え病気がはやり、そして第一次世界大戦が1930年の全島避難を後押しすることとなった〔See especially Maclean (1977), Steel (1988), Fleming (2005).〕。セント・キルダの物語は、オペラを含め芸術的な解釈を集めている。
群島全体を所有するのはナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(en)である。1986年、スコットランドに5箇所あるUNESCO世界遺産の1つとなり、セント・キルダはその自然と文化資質のため、世界でも数少ない地位を保持している〔"World Heritage: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland" . UNESCO. Retrieved 3 January 2007.〕。2つの種類の異なる古い種類のヒツジがこれらの離島で生き延びてきた。新石器時代の種であるソアイ種、鉄器時代の種であるボーレー種である。島は多くの貴重な、シロカツオドリニシツノメドリフルマカモメといった海鳥の繁殖地でもある。セントキルダミソサザイとセントキルダノネズミは島独自の亜種である〔。夏になると、セント・キルダのかつての住民がそのままの状態で残していった多くの壊れた建物を修復するため、ボランティアの一団が島を訪れる。島は、1957年にできた小さな軍事基地と共存している〔Steel (1988) page 273.〕。
==由来==

聖キルダの名で知られる聖人はいない。16世紀後半にまで遡る名称の由来だと、諸説が挙げられている〔Buchanan (1983) Pages 2-6.〕 。ハズウェル=スミスは、セント・キルダの名称すべてが1666年のオランダの地図に初めて記されたと述べた(2004年)。そして名前はノルド語のsunt kelda(清らかな井戸水)に由来するか、Tobar Childaの泉が聖人に捧げられたという、誤ったオランダ語の仮説に由来する可能性をあげている(Tobar Childaは恒真式の地名であり、ゲール語とノルド語で「井戸」または「水源」、「源」を意味するwellの組み合わせ、well wellに由来する)〔。1697年に島を訪れているマーティン・マーティン(en、スコットランドの文筆家)は、セント・キルダの名が「かつてこの地に住んでいた一人のKilderからとられた。彼の名は大きなToubir-Kildaの水源からとられたものだ。」と信じていた〔Martin, Martin (1703).〕〔''Tobar Childa'' and ''Toubir-Kilda'' are one and the same.〕。
マクリーンは、同じくヒルタ、Childaの泉は古ノルド語の破片からきたのだと示唆している(1972年)。1588年の地図ではキルダ(Kilda)の名で群島が判別できる。彼はまた、カルディス(Culdees)を参照することができると推測する。カルディスは島にキリスト教をもたらしたとされる隠者の名である。または、カルディスは群島最大の島のゲール語名が崩れて生じたものだとする。島民がlのようにrを発音する傾向にあったからである。従って、習慣的に島はHiltaと呼ばれていた〔Maclean (1977) page 33.〕。スティールは、この案に重みを加えた。島民が「ややしわがれ声で」Hを発音することに注目したのである。すると、HirtaはほぼKildaに聞こえるようになる(1988年)〔Steel (1988) page 27.〕。同様に、セント・キルダ住民が1960年代にエディンバラ大学スコットランド学部の聞き取りを受けた際、個々の話者がtの古い活用を用いた。''ann an t-Hirte'' ()と''gu Hirte''()のようにhの子音弱化が起きていた〔Bruford, A. (ed.) ''Tocher'' Vol 36-37 (1982) School of Scottish Studies〕。
マクリーンはさらに、オランダ人が単純な地図製作法上の誤りをしたのだと示唆する。HirtaとSkildarを混同したのだという(1972年)。Skilderとは、アウター・ヘブリディーズの中心に近い小島、Haskeir島の古い名称である〔〔Fleming (2005) page 27. Maclean does not state which island caused the confusion, but Fleming equates 'Skildir' with Haskeir.〕。クインは、名称が一連の地図製作上の誤りに由来するという仮説をあげている(2000年)。古いアイスランド語で盾を意味するSkildirが最初に使われ始め、Skildarとして1583年のニコラ・ド・ニコレーの地図上に現れたとする。こうして仮説が進むと、1592年のルーカス・J・ヴァゲナールの図表は、末尾にrがなく、Sの後にピリオドがつく誤りを転写し、S.Kildaとなっている。これは、順番にそれぞれ異なる人物がセント・キルダは聖人に由来すると仮定したためで、数世紀にわたってSt.Kildaのかたちが使われてきたのである〔Quine (2000) page 21.〕〔de Nicolay, Nicholas (1583) ''Vraye & exacte description Hydrographique des costes maritimes d'Escosse & des Isles Orchades Hebrides avec partie d'Angleterre & d'Irlande servant a la navigation''. Edinburgh. National Library of Scotland. Retrieved 22 December 2007.〕〔しかし、マーティンは1703年にこう記している。「船乗り全てがSt. Kildaと呼んでいた。海図、特にアイルランドからゼーラントへと向かうオランダ語の海図、アムステルダムでPeter Goasが1663年に発行した海図では特にSt. Kilderであった。」これはヴァゲナールの海図発行後ほぼ100年間であった。しかし、彼のつづり間違いが一般的な口語用法につながったのか、話し言葉は全く異なる起源をもつのかどうかは不明である。後のフラナン諸島へ関係する伝承の推移において、マーティンは「適切な名は高地においてはアイルランド語名のHirtなのだから、セント・キルダの島と呼ぶことは絶対に違法である。」と述べている。これはセント・キルダ住民の慣習を参照して、「高地」をヒルタ、「北の土地」をボーレーとしている。 See Fleming (2005).〕。
St.Kildaとなる以前からあるHirtaの語源は、同様に解釈が明らかになっている。1703年にマーティンは、「Hirtaはアイルランド語で西を意味するIerからとられた。」と断言している〔。マクリーンはいくつかの選択肢を提供している。そこには、不特定だが、「ケルト語で暗がりまたは死を意味する」とか、「スコットランド・ゲール語で西の土地を意味するh-Iar-Tìr」だというものが含まれている〔Haswell-Smith (2004) suggests this may be ''Ei hirt'' - dangerous or deathlike.〕。13世紀初頭のアイルランドへの航海を記したアイスランドのサガにおいては、Hirtirの島々を訪れたことが記載されている。彼はHirtaの形状がシカに似ていると指摘している(Hirtirはノルド語でシカである)〔。1998年にスティールは、1829年から1844年まで島で暮らしたニール・マッケンジー牧師の、島の名前はゲール語で「高い土地」を意味するÌ Àrdに由来するという見解を引用する。さらなる可能性として、ノルド語で羊飼いを意味するHirtが挙げられている〔Steel (1988) pages 26-27.〕。似たような調子で、1966年にマリーは、ノルド語のHirðöは(Hirthaと発音する。意味は群島)語源かもしれないと挙げている〔Murray, W.H. (1966) ''The Hebrides''. London. Heinemann, pages 196, 236.〕。島々の名前と上記に挙げられた名前はすべてコーツによって議論されている(1990年)〔Coates, Richard (1990).〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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