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セントルイス・レスリング・クラブ : ミニ英和和英辞書
セントルイス・レスリング・クラブ[らぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

セントルイス・レスリング・クラブ : ウィキペディア日本語版
セントルイス・レスリング・クラブ[らぶ]
セントルイス・レスリング・クラブ(''St. Louis Wrestling Club'')は、ミズーリ州セントルイスを拠点としたプロレス団体
== 概要 ==
セントルイス・レスリング・クラブはサム・マソニックが所有し運営した。1959年に創設され、1985年まで存続した。この団体はナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)のメンバーで、主にセントルイス地区をプロモートした。「NWAセントルイス地区」とは、この団体のことを指す。
マソニックはプロレス黎明期には珍しく、公正で誠実なプロモーターとして評判が高かった。また異例なこととして、セントルイス・レスリング・クラブはタッグ王座を承認せず、主にシングルマッチとアングルに焦点を当てた。
セントルイス・レスリング・クラブの興行は、キール・オーディトリアムで行われていた。1950年から1960年、また1963年から1975年まで、長くNWA会長を務めたマソニックの地元であったことから、キール・オーディトリアムは“NWAの総本山”と日本では呼ばれていた。
セントルイス・レスリング・クラブで活躍した人気レスラーには、リック・フレアーハーリー・レイス(セントルイス・レスリング・クラブとセントラル・ステーツ・レスリングの共同所有者でもあった)、ディック・ザ・ブルーザージン・キニスキールー・テーズテッド・デビアスなどがいた。
サム・マソニックはセントルイスのチェッカードームでの1982年1月1日の興行を最後に引退し、ボブ・ガイゲルハーリー・レイスに団体を売却した〔"National Wrestling Alliance: The Untold Story of the Monopoly That Strangled Pro Wrestling", 著者Tim Hornbaker p.59〕。その後1985年までに、WWFハルク・ホーガンはセントルイス地区でも強大な人気を得たために、団体は利益を失い始めた〔St. Louis 〕 。1985年、団体は、後にWCWに吸収されることになるジム・クロケット・プロモーションズに買収された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「セントルイス・レスリング・クラブ」の詳細全文を読む




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