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セオドア・W・リチャーズ : ミニ英和和英辞書
セオドア・W・リチャーズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ドア : [どあ]
 (n) door
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

セオドア・W・リチャーズ ( リダイレクト:セオドア・リチャーズ ) : ウィキペディア日本語版
セオドア・リチャーズ[ちょうおん]


セオドア・ウィリアム・リチャーズ(Theodore William Richards, 1868年1月31日 - 1928年4月2日)は、アメリカ合衆国物理化学者。アメリカ人初のノーベル化学賞受賞者である。原子番号の大きな原子の原子量を正確に求めたことで知られる。
== 生涯 ==
ペンシルベニア州ジャーマンタウン出身。父のウィリアム・リチャーズは風景画家、母のアンナ・ニー・マトラックは詩人である。幼少期にフランスイギリスをめぐり、カレッジ入学前は主に母親から教育を受けた。ある夏、ロードアイランド州ニューポートでハーバード大学の教授 Josiah Parsons Cooke と出会い、小型の望遠鏡で土星の環を見せてもらった。数年後、リチャーズは Cooke の研究室で学ぶことになった。
1878年から2年間、リチャーズ一家はヨーロッパ、主にイングランドで過ごし、そこでセオドアは科学への関心を育んでいった。一家がアメリカに戻ると、彼は1883年に14歳でハバフォード大学に入学し、1885年に学士号 (Bachelor of Science) を取得した。その後ハーバード大学に進み、1886年に学士号 (Bachelor of Arts) を取得し、大学院に進んだ。
1888年、化学の Ph.D. を取得。学位論文の研究テーマは水素に対する酸素の相対原子量の測定である。博士課程指導教官は Josiah Parsons Cooke だった。その後1年間、ドイツに留学してヴィクトル・マイヤーに師事した。帰国後はハーバードで助手、講師、助教授を務め、1901年に教授となった。1903年にはハーバードの化学部の学部長となり、1912年には新たに創設されたウォルコット・ギブズ記念研究所の所長となった。
1896年、結婚。娘を1人、息子を2人もうけた。その娘が結婚したのが化学者の :ja:ジェイムス・コナント とリンク -->" TITLE="James Bryant Conant">James Bryant Conant である。なお、息子は2人とも自殺した。
リチャーズは美術と音楽を趣味としていた。余暇にはスケッチ、ゴルフ、ヨットを楽しんだ。1928年4月2日、マサチューセッツ州ケンブリッジで死去。ある子孫の言によれば、リチャーズは慢性の呼吸障害とうつ病に苦しんでいたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「セオドア・リチャーズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Theodore William Richards 」があります。




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