翻訳と辞書
Words near each other
・ スーズダリ公国
・ スーズロン
・ スーズ・ランドール
・ スーズ・ロトロ
・ スーセントマリー
・ スーセントマリー (オンタリオ州)
・ スーセントマリー (ミシガン州)
・ スーセントマリー運河
・ スーセントメリー
・ スーセントメリー運河
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
・ スータン
・ スーダラ社員
・ スーダラ節
・ スーダン
・ スーダン (ロワール=アトランティック県)
・ スーダン (曖昧さ回避)
・ スーダンI
・ スーダンII
・ スーダンIII


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スーゾ・チェッキ・ダミーコ : ミニ英和和英辞書
スーゾ・チェッキ・ダミーコ[だみー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ダミー : [だみー]
 【名詞】 1. dummy 2. (n) dummy

スーゾ・チェッキ・ダミーコ : ウィキペディア日本語版
スーゾ・チェッキ・ダミーコ[だみー]

スーゾ・チェッキ・ダミーコ(, 1914年7月21日 - 2010年7月31日)は、イタリア脚本家である〔Suso Cecchi d'Amico, インターネット・ムービー・データベース , 2010年12月3日閲覧。〕〔Suso Cecchi d'Amico, allmovie , 2010年12月3日閲覧。〕。出生名スザンナ・ジョヴァンナ・チェッキ()〔。
== 人物・来歴 ==

=== ネオレアリズモの代表作家 ===
1914年7月21日イタリア王国(現在のイタリア共和国)ローマに生まれた〔〔。父は脚本家のエミリオ・チェッキである〔〔。のちにペンネームとした「スーゾ」は本名スザンナの愛称である。
スーゾの最初のキャリアは記者・翻訳家である〔。1938年、シルヴィオ・ダミーコの息子フェデーレ・ダミーコと結婚、スザンナ・ジョヴァンナ・チェッキ・ダミーコとなる〔。
第二次世界大戦後の1946年に脚本家に転向、同年公開のロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』の脚本執筆に参加する。1947年、ルイジ・ザンパ監督の『平和に生きる』で、ロカルノ国際映画祭最優秀脚本賞、ならびに同年のナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞する〔。同年に公開されたヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』の脚本に参加し、翌1948年には同作を共同執筆したデ・シーカ、チェーザレ・ザヴァッティーニオレステ・ビアンコリアドルフォ・フランチジェラルド・グェッリエーリとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞する。1950年にも、レナート・カステラーニ監督の『春が来た』で、同作を共同執筆したカステラーニ、チェーザレ・ザヴァッティーニとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞し〔、「ネオレアリズモ」の代表作家となっていった〔。
1953年に公開されたウィリアム・ワイラー監督のアメリカ映画ローマの休日』の脚本をエンニオ・フライアーノとともに執筆したが、クレジットはされなかった〔。同作は、1954年に第26回アカデミー賞脚本賞イアン・マクレラン・ハンター(のちにダルトン・トランボが受賞)が受賞している〔, 2010年12月5日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スーゾ・チェッキ・ダミーコ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.