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ステイプル・シンガーズ : ミニ英和和英辞書
ステイプル・シンガーズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

シンガー : [しんがー]
 【名詞】 1. singer 2. (n) singer
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ステイプル・シンガーズ ( リダイレクト:ザ・ステイプル・シンガーズ ) : ウィキペディア日本語版
ザ・ステイプル・シンガーズ[ちょうおん]

ザ・ステイプル・シンガーズ (The Staple Singers) は、米国ゴスペルソウル・グループ。1940年代後半にギタリスト/シンガーのローバック"ポップス"ステイプルズが、彼の子供たちと結成した。当初はゴスペル・グループであったが、60年代以降ポップスやロックなどの要素を積極的に取り入れ、成功を収めた。
メイヴィス・ステイプルズが「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第56位にランクインしている。
==来歴==
ローバック"ポップス"ステイプルズ (1915年12月28日 - 2000年12月19日, ミシシッピ州ワイノーナ出身) は、1936年にシカゴに住むようになってからトランペット・ジュビリーズというグループに参加し、教会でゴスペルを演奏していた。1948年頃、彼の娘のクレオサ (1934年4月11日 - 2013年2月21日米ゴスペル歌手のクレオサ・ステイプルズさん死去 - 朝日新聞 2013年2月24日閲覧。〕)、メイヴィス (1939年7月10日 - )、息子のパーヴィス (1935年11月 - )と共に、ポップスはステイプル・シンガーズを結成、中西部の教会を中心に活動を展開するようになった。
1953年、彼らのレーベル、ロイヤルより「These They Are」でレコード・デビューを果たした。続いて翌年、ユナイテッドより「Sit Down Servant」をリリースした。1956年には、ヴィージェイ・レコードと契約し、「Uncloudy Day」や「Will The Circle Be Broken」などの名作レコーディングを残した。
1962年までヴィージェイに在籍した後、リバーサイドエピックと渡り歩いた。この頃から、ゴスペルにと留まらず、時代の流れを受けてフォーク的なアプローチを取ったり、ポップスやロック的な要素を積極的に取り入れたりと、そのサウンドは広がりを見せるようになる。また、公民権運動の盛り上がりと共に、彼らの歌もメッセージ性が強くなっていった。エピック時代には、バッファロー・スプリングフィールドのカバー「For What It's Worth」がヒットとなる。
1968年、彼らはメンフィスのスタックス・レコードと契約。1970年には、パーヴィスが脱退するものの、ステイプル姉妹の一人イヴォンヌ (1938年10月23日 - )を加えて、活動を続けた。スタックス時代には計6枚のアルバムをリリース。「I'll Take You There」「Respect Yourself」を始め、数多くの大ヒットが生まれている。この時代は、彼らにとって最も大きな商業的成功を収めた時期であり、作品の内容から見ても、彼らのキャリアのピークとする見方が一般的。
1975年、スタックスが倒産したことにより、グループはカーティス・メイフィールドのレーベル、カートムへ移籍。同年10月、メイフィールドのペンによるシングル「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン」を発表。シングルはビルボードのポップチャートとソウルチャートそれぞれにおいて1位を獲得した。同作品は同名映画(邦題『シドニー・ポワチエ / 一発大逆転』)の挿入歌であり、サウンドトラック盤も発売されている。
1978年4月に公開されたザ・バンドのドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』に出演。1968年のアルバム『Soul Folk in Action』で取り上げていたザ・バンドの代表曲「The Weight」を演奏した。映画で使用されたステイプル・シンガーズの演奏シーンは、1976年11月に行われたコンサートからのものではなく、後日MGMのサウンドステージにて収録されたものである。彼らは、1994年のアルバム「Rhythm Country and Blues」でも、マーティー・スチュワートと組み、この曲を再演している。
1976年から1978年の間にはワーナーに在籍し、計3枚のアルバムをリリース。ワーナー時代は、グループ名から「シンガーズ」を落とし、「ザ・ステイプルズ」を名乗った。以降、20世紀フォックス、プライベートIなどのレーベルで作品をリリースし、1984年の「Slippery People」 (R&Bチャート22位)など、いくつかの小ヒットは生んでいるが、スタックス時代の成功を再現するには到っていない。
1999年ロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターをローリン・ヒルが務めた。
2000年12月19日、ポップスが転倒による脳震盪で亡くなってしまい、グループは活動を停止した。メイヴィス・ステイプルズは、以後ソロで活動を続けている。
2005年グラミー賞の特別功労賞(Lifetime Achievement Award)を受賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ザ・ステイプル・シンガーズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Staple Singers 」があります。




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