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ジョヴァンニ・セガンティーニ : ミニ英和和英辞書
ジョヴァンニ・セガンティーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョヴァンニ・セガンティーニ : ウィキペディア日本語版
ジョヴァンニ・セガンティーニ[ちょうおん]

ジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini、1858年1月15日 - 1899年9月28日)は、イタリア画家アルプスの風景などを題材とした絵画を残し、アルプスの画家〔佐久間 (1921) p.8〕〔May, U. (2001) ABRAHAM’S DISCOVERY OF THE ‘BAD MOTHER’- A CONTRIBUTION TO THE HISTORY OF THE THEORY OF DEPRESSION, ''Int. J. Psychoanal.'' 82 283-305〕として知られている。一方で『悪しき母達』など神秘的、退廃的な作品を残したことから、作風は世紀末芸術とされることもある。
== 生涯 ==

=== 幼少時 ===
1858年オーストリアのトレンティーノ(現在のイタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州)にあるコムーネの一つ、アルコで生まれた。父アゴスティノ・セガティニ(セガンティーニの旧姓)は農民階級の大工で、母マルゲリータ・デ・ジラルディは中等階級中のやや低い身分の出であった〔佐久間 (1921) p.11〕。ジョヴァンニはマルゲリータの第2子(第1子はセガンティーニが生まれる前に火事で命を落とした〔)で、生まれた頃には体が弱く、両親の周到な注意の下に漸く育つことが出来た〔佐久間 (1921) p.12〕。しかし母マルゲリータはジョヴァンニを生んで病にかかり、1863年、ジョヴァンニがまだ5歳の時に29歳で夭折した〔佐久間 (1921) p.13〕。
父親はジョヴァンニを連れてミラノに向かい、先妻との間に儲けた息子と娘(ジョヴァンニにとっての異母兄妹)のもとを訪ねた。しかしその子供達の生活は困窮しており、ジョヴァンニとその父が到着した頃には店を閉じなければならなくなっていた〔佐久間 (1921) p.15〕。ジョヴァンニの父と先妻との息子は、自分達の成功を夢見て、幼いジョヴァンニを残してアメリカに赴き、そのまま帰ってこなかった。後に残されたジョヴァンニは、異母の姉のもとで暮らしたが、異母の姉は毎日ジョヴァンニ一人を残して仕事に出かけた〔。
異母の姉のもとで、窓から空を眺めて単調な生活を送っていたジョヴァンニは、ある日フランスに歩いて行くという思いつきに魅せられ、姉が仕事に出た後歩いて街に出た〔佐久間 (1921) p.28〕。しかし数キロ先で疲労のために倒れ、親切な人々に保護された。その翌日にミラノに送り返されそうになったが、ジョヴァンニがそれを嫌がり、またジョヴァンニの経歴を聞いた人々は不憫に感じたため、それからしばらくの間彼らの家においてもらえることになった。この当時ジョヴァンニは7歳だった〔佐久間 (1921) pp.31-33〕。
そののち再びジョヴァンニは姉の元へ帰ることになったが、そこでは再び冷遇された。ジョヴァンニはしばしば、姉の家ではなく、街中や人の住んでいない家屋の屋根裏部屋で夜を過ごしていた。そこでは飢えや寒さに苦しめられた上、孤独感から愛情にも飢えていた〔佐久間 (1921) p.37〕。また屋根裏部屋で天然痘に感染した際にも、姉の元へ帰りたくないジョヴァンニは、医師の好意で出来るだけ長い間病院に留めてもらった〔佐久間 (1921) p.36〕。
その後親戚の紹介で、ジョヴァンニは薬屋で働かせてもらうこととなった。しかしある夏の日に、他の店員と共に店の金を盗んで逃走した〔佐久間 (1921) p.40〕。さらに、逃走中ジョヴァンニが疲労のため眠りについている間に、一緒に逃げていた店員は金をもって一人で逃走。ジョヴァンニは後悔のために死を決意し、3日間農場の枯草置場に潜伏していたが、農夫に発見され、結局ミラノへ送り返された〔佐久間 (1921) p.41〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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