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ジョン・ロード : ミニ英和和英辞書
ジョン・ロード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・ロード : ウィキペディア日本語版
ジョン・ロード[ちょうおん]

ジョン・ロード(''Jon Lord'' 、1941年6月9日 - 2012年7月16日)はイギリス出身のハモンドオルガニストピアニスト作曲家
== 略歴 ==
本名、ジョナサン・ダグラス・ロード。レスターで生まれる。父親はサクソフォーン奏者で、音楽的な環境に恵まれていた彼は9歳の頃からピアノのレッスンを受け始める。最初はクラシックピアニストを目指していたが、演劇にも興味を持っていた彼は演劇学校にも通っていた。そんなある日、ジミー・スミスの奏でるハモンドオルガンを偶然耳にした彼はその魅力にとりつかれることになる。
その後アマチュア・バンドに加入しキーボードを担当するがあまり仕事に恵まれず1963年、ようやくアート・ウッド率いる本格的なR&Bバンド、アートウッズに参加する。1967年のアートウッズ解散後、サンタ・バーバラ・マシン・ヘッドを結成。オムニバスアルバムのために3曲のインストゥルメンタルを録音するが同年早くもグループは解散。
次に参加したのはフラワー・ポットメンというバンドで、この頃にリッチー・ブラックモアと出会う。その後、ラウンドアバウトを経て1968年ディープ・パープルを結成。1976年の解散までキーボーディストを務める。
その後、トニー・アシュトン、イアン・ペイスらと共にペイス・アシュトン&ロードを結成。1978年にはデイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクに参加。
そして1984年、ディープ・パープルを再結成し、以降長年に渡ってバンドの実質的なリーダーとしてメンバーをまとめ上げた。ツアーの疲労が蓄積してきた2001年に彼は膝を痛め、こうした事情から翌2002年に ディープ・パープルから引退するような形で脱退。しかし、膝の状態はその後手術を経ずに回復した。その後ソロ活動に転じた。
2004年、アルバム『Beyond the Notes』の中の一曲の「The Sun Will Shine Again」を元ABBAアンニ=フリッド・リングスタッドと収録。2009年4月15日、東京国際フォーラムでのディープ・パープルのコンサートにてサプライズゲストとして参加。
2011年、自身が膵臓癌による闘病中であることを公表した。英国およびイスラエルで治療を受けていたが、2012年7月16日、肺塞栓症のためにロンドンのクリニックで死去〔Deep Purple's Jon Lord dies aged 71 NME.COM 2012年7月17日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ロード」の詳細全文を読む




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