翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョン・マッキー (作曲家)
・ ジョン・マッキー (哲学者)
・ ジョン・マッギオーク
・ ジョン・マック
・ ジョン・マックス・ローゼンフィールド
・ ジョン・マックファーソン・バーリエン
・ ジョン・マックファーソン・バーリン
・ ジョン・マックファーソン・ベリエン
・ ジョン・マッケイ
・ ジョン・マッケイン
ジョン・マッケンタイア
・ ジョン・マッケンロー
・ ジョン・マッケーン
・ ジョン・マッコネル
・ ジョン・マッコーネル
・ ジョン・マッジ
・ ジョン・マッタータル
・ ジョン・マッターター
・ ジョン・マッデン
・ ジョン・マッデン (アメリカンフットボール)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョン・マッケンタイア : ミニ英和和英辞書
ジョン・マッケンタイア
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジョン・マッケンタイア : ウィキペディア日本語版
ジョン・マッケンタイア

ジョン・マッケンタイア(John McEntire、1970年4月9日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州出身のドラマーマルチプレイヤー音楽プロデューサーレコーディング・エンジニア。また、イリノイ州シカゴ録音スタジオ「Soma Electronic Music Studios」のオーナーでもある〔Soma Electronic Music Studios公式サイト - 2011年12月25日閲覧〕。主にポストロックインディー・ロックの分野で活動し、、トータスザ・シー・アンド・ケイクのメンバーとしての活動に加えて、多くのミュージシャン/バンドの作品に参加した。
== 来歴 ==
ポートランドで生まれる。最初に始めた楽器はドラムスで、カレッジではパーカッションを専攻するが、やがてミュージック・コンクレートに興味を持ち、電子音楽に傾倒する〔John McEntire : AllMusic - Biography by Nathan Bush〕。1988年にはマーク・エドワーズを中心としたプロジェクト、のドラマーとなる〔My Dad Is Dead : AllMusic - Biography by John Bush〕。マイ・ダッド・イズ・デッドはと共にツアーを行い、マッケンタイアはその後バストロに加入した〔Bastro : AllMusic - Biography by Steve Huey〕。
その後、マッケンタイアはバストロでの盟友デイヴィッド・グラブスとバンディ・K・ブラウンのユニット、ガスター・デル・ソルのレコーディングに参加して〔Gastr del Sol | AllMusic - Biography by Jason Ankeny〕、更に、イリノイ州シカゴを拠点にトータスおよびザ・シー・アンド・ケイクを結成。1994年にはトータスのファースト・アルバム『Tortoise』とザ・シー・アンド・ケイクのファースト・アルバム『The Sea and Cake』の両方がリリースされた。マッケンタイアはその後も、両方のバンドで活動を続けていく。
1998年には、マッケンタイアがリミックスで参加したブラーの日本企画アルバム『バスティン+ドローニン』がリリースされ〔Blur - Bustin' + Dronin' (CD, Album) at Discogs 〕、同年にはマッケンタイアが音楽を担当したアメリカ映画『リーチ・ザ・ロック』(監督:ウィリアム・ライアン)が公開された〔Reach the Rock (1998) - Full cast and crew - IMDb.com〕。
2007年、トータスでの盟友であるダン・ビットニーやジョン・ヘーンドンと共に結成したバンド、Bumpsとしての初のアルバムをヒップホップ・レーベルのStones Throwから発表した〔Bumps : AllMusic 〕。
マッケンタイアは音楽プロデューサーおよびレコーディング・エンジニアとしても活動しており、バストロ、トータス、ザ・シー・アンド・ケイクのメンバーの関連作品のみならず、イギリスのステレオラブ、日本のGREAT3、カナダのブロークン・ソーシャル・シーン等の作品にも関与した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・マッケンタイア」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.