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ジョン・フラム : ミニ英和和英辞書
ジョン・フラム[らむ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)

ジョン・フラム : ウィキペディア日本語版
ジョン・フラム[らむ]

ジョン・フラムまたはジョン・フロムとは、バヌアツ共和国タンナ島におけるカーゴ・カルト偶像である。綴りはJohn Frum、Jon Frum、John Fromなど一定ではない。現在広く語られるところによれば、フラムは第二次世界大戦期のアメリカ兵であり、彼に従えば人々に富と幸福がもたらされるとされる。彼は白人であるとも黒人であるとも言われ、デイビッド・アッテンボローの著書の中にはこの信仰の信者からの聞き取りとして「彼はあなたにそっくりだ。彼は白い顔をしている。彼は背の高い男だ。彼は南米に長く暮らした」とある。
==歴史==

ジョン・フラム信仰のルーツは1930年代後半にあるとされ、当時バヌアツはニューヘブリデスとして知られていた。この信仰はタンナ島・を中心に信仰されていた土着宗教、特にタンナ島最高峰であるの神に関連するカラペラムン(Keraperamun)と呼ばれるものの影響が強いとされる〔Worsley, Peter (1957). ''The Trumpet Shall Sound: A Study of 'Cargo' Cults in Melanesia'' London: MacGibbon & Kee. p. 154.〕。カラペラムンの神としてのジョン・フラムは、新たな時代の幕開けを告げる存在であり、彼はやがて宣教師を含む全ての白人がニューヘブリデスを離れ、メラネシア人たちに白人と同様の物質的豊かさが与えられると予言したという。ただし、これが実現する為にタンナ島の人々は一度欧米的文化(通貨、欧米式教育、コプラ栽培など)を捨て去り、伝統的な習慣(カストム、kastom)に立ち戻らねばならぬとされていた。いくつかの「神話」の中では、マネヒビ(Manehivi)という名の現地人がフラムの正体であり、欧米風のコートを身に付けて現れた彼は現地人たちに住居や衣類、食料等の約束を取り付けていったと言われている〔Guiart, Jean (1952) "John Frum Movement in Tanna" Oceania Vol 22 No 3 pg 165-177〕〔Worsley, ''The Trumpet Shall Sound'', pp. 153–9.〕。フラムの原型はカヴァの葉が生み出した幻覚だという説もある〔Tabani, Marc, Une pirogue pour le Paradis : le culte de John Frum à Tanna (Vanuatu). Paris : Editions de la Maison des Sciences de l'Homme, 2008.〕。
1941年、ジョン・フラム信者たちは通貨や宣教師及び教会、学校、村落、農園などを捨て、伝統的な祭事や踊りなどに参加するべく内陸部へと移動していった。欧米の植民地監理当局ではこの動きを抑えこむべく、ジョン・フラムを自称する現地人および信仰の指導者らを逮捕して公然の侮辱、投獄、追放などの処分を行った〔Geoffrey Hurd et al., ''Human Societies: An Introduction to Sociology'' (Boston: Routledge, 1986) p. 74.〕〔Peter Worsley, ''From Primitives to Zen'', Mircea Eliade ed. (New York: Harper & Row, 1977) p. 415.〕〔Lamont Lindstrom in ''Cargo Cults and Millenarian Movements: Transoceanic Comparisons of New Religious Movements'' G. W. Trompf ed. (New York: Mouton de Gruyter, 1990) p. 244〕。
こうした当局の動きにも関わらず、太平洋戦争が始まると米軍がニューヘブリデスへおよそ30万人の将兵を派遣し、これに伴い大量の物資、すなわち「カーゴ」(cargo)が投下された事で信仰されていた物質的豊かさが実現し、ジョン・フラム信仰は一層とその規模を増した〔Western Oceanian Religions: Jon Frum Movement University of Cumbria〕。以後、ジョン・フラム信仰では実際に物質的豊かさをもたらした米軍を偶像たるジョン・フラムと同一視するようになる。こうしたアメリカの影響を特に強調した「神話」として、ジョン・フラムが「ジョン・フロム・アメリカ」(John from America, 「アメリカから来たジョン」)に由来すると語られたり、ジョン・フラムは米軍の黒人兵であったと語られる事もある。やがて終戦と共に米軍は撤退していったが、ジョン・フラム信者たちは米軍機が再び着陸して彼らに「カーゴ」をもたらす事を願い、多くの「滑走路」を作り上げていった。
1957年、当時のジョン・フラム信仰の指導者ナコマハ(Nakomaha)は、タンナ陸軍(Tanna Army)と呼ばれる組織を設立した。これは本物の軍事組織ではなく、アメリカの影響を受けたジョン・フラム信仰の一環たる儀式として米軍の行進・訓練などを再現する為の組織である。彼らは顔を緑色に塗り、T-A USA(Tannna Army USA)と書かれた白いTシャツを着用している。今日では上半身裸で西洋風のズボンを履いた姿が儀式における正装とされ、また指揮官を演じるものが軍服風の衣装を着用する場合もある。
1970年代後半、ジョン・フラム信者らは統一国家たるバヌアツ共和国の独立に反対した。彼らは統一政府が近代的・西洋的なキリスト教の信仰を支持する事で古くからの慣習が揺るがされることを恐れたのである。
今日でもジョン・フラム信仰は一定の規模で生きており、ジョン・フラムが戻ってくるとされている2月15日はジョン・フラム信者から「ジョン・フラムの日」と呼ばれ、タンナ陸軍によるパレードなどの儀式を含む記念式典が催される。またジョン・フラム信者らはジョン・フラム運動なる政党を組織している。2007年2月のジョン・フラムの日、同党は創立50週年を迎えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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