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ジョン・ニューカム : ミニ英和和英辞書
ジョン・ニューカム[かむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カム : [かむ]
 【名詞】 1. cam 2. (n) cam

ジョン・ニューカム : ウィキペディア日本語版
ジョン・ニューカム[かむ]

ジョン・ニューカムJohn Newcombe, 1944年5月23日 - )は、オーストラリアシドニー出身の男子テニス選手。1960年代から1970年代前半にかけて、オーストラリア・テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。フルネームは ''John David Newcombe'' (ジョン・デビッド・ニューカム)という。重いサービスとフォアハンド・ストローク、ボレーを中心に組み立てるプレー・スタイルで、芝生のウィンブルドン選手権を最も得意にした。4大大会でシングルス通算「7勝」(全豪オープン2勝、ウィンブルドン3勝、全米オープン2勝)を挙げたが、赤土のクレーコートが苦手で、全仏オープンではどうしても優勝できなかった選手の1人である。
== 来歴 ==
ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的にテニスに専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表監督だったハリー・ホップマン1906年 - 1985年)に才能を認められ、ニューカムは1963年からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。1964年から1967年まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。1967年に、ニューカムはウィンブルドン選手権全米選手権4大大会2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会(全豪選手権全仏選手権ウィンブルドン選手権全米選手権)の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。
その翌年、1968年にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ全豪オープン全仏オープンウィンブルドン選手権全米オープンに変更された。1968年以後のテニス記録は「オープン化時代」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。1970年1971年、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。1973年には全米オープンで6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の1967年であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の全豪オープンでは1973年1975年の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、1974年に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。
ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じオーストラリアトニー・ローチとのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。1986年、ニューカムはローチと一緒に国際テニス殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ニューカム」の詳細全文を読む




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