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ジュリー・クワン : ミニ英和和英辞書
ジュリー・クワン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジュリー・クワン : ウィキペディア日本語版
ジュリー・クワン[ちょうおん]

ジュリー・クワンJulie Coin, 1982年12月2日 - )は、フランスアミアン出身の女子プロテニス選手。2009年ジャパン・オープン女子シングルス優勝者になった選手である。WTAツアー大会では、シングルス・ダブルスともに優勝はない。自己最高ランキングはシングルス60位、ダブルス49位。身長172cm、体重65kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
クワンは少女時代にアメリ・モレスモと同じクラブでテニスを習っていたが、アメリカサウスカロライナ州にあるクレムゾン大学に入学し、大学で数学の学位を取得した。2002年から2005年まで大学の学生テニス選手として活動したことから、彼女のプロテニスツアーでの経歴開始はかなり遅い。クワンが世界的な知名度を獲得したのは、2008年全米オープンの女子シングルス3回戦進出だった。それまでツアー成績が良くなかったことから、彼女は2008年度を最後にプロテニス界から撤退しようかと考えたという(女子ツアー公式プロフィールによる)。この全米オープンで、彼女は予選3試合を勝ち上がり、初めて4大大会のシングルス本戦出場権を得た。2回戦で当年度の全仏オープン優勝者、第1シードのアナ・イバノビッチセルビア)を 6-3, 4-6, 6-3 で破る大番狂わせを起こし、クワンは25歳にして一躍有名になった。続く3回戦では、かつて同じクラブの練習仲間であったモレスモに 4-6, 4-6 のストレートで敗退した。
2009年度の彼女は、ウィンブルドンを除く3大会で2回戦に進出した。10月第2週の楽天ジャパン・オープンで、クワンは第1シードとして出場し、決勝でオリガ・サブチュクウクライナ)を 7-6(8-6), 4-6, 7-6(8-6) で破って初優勝を決めた。ジャパン・オープンの女子部門は、2009年よりWTAツアーから降格され、ITF下部レベルのサーキット大会になった。したがって、これはクワンのITFサーキット大会シングルス7勝目になるものの、WTAツアー初優勝ではない。
クワンは2010年に初めて女子国別対抗戦フェドカップの代表に選ばれた。アメリカとの1回戦で、メラニー・ウダンに 6-7(3), 4-6 で敗れフランスチームも1勝4敗で敗れたが、ドイツとの入れ替え戦では2勝2敗で迎えた最終戦のダブルスにアリーゼ・コルネとのペアで出場し、アンドレア・ペトコビッチ&クリスティナ・バロイス組に 6-3, 6-1 で勝利して残留を決めた。2011年のロシアとの1回戦は2勝2敗で迎えたダブルスにコルネと組んで再び出場したが、スベトラーナ・クズネツォワ&アナスタシア・パブリュチェンコワ組に 6-7(4), 0-6 で敗れ、フランスは2勝3敗で敗退した。
2011年頃からはランキングが下がり女子ツアー下部大会でプレーしていたが、2015年11月の地元リモージュ大会を最後に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュリー・クワン」の詳細全文を読む




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