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ジャン=バティスト・ド・ラ・サール : ミニ英和和英辞書
ジャン=バティスト・ド・ラ・サール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャン=バティスト・ド・ラ・サール : ウィキペディア日本語版
ジャン=バティスト・ド・ラ・サール[ちょうおん]

ジャン=バティスト・ド・ラ・サール(、 ジャンバティストゥドゥラサル。1651年4月30日 - 1719年4月7日)は、フランスの宗教家司祭)・教育者、カトリックの聖人
== 経歴 ==
サン・スルピス神学校、ソルボンヌ大学を卒業して司祭になる。近代教育の先駆者で、当時、西欧では上流階級の子女だけが家庭教師からラテン語による教育をうけるのが一般的だったのに対し、平民のこどもを一堂に集めて学級に分け、日常用語(フランス語)で教育を行うという、現代の学校教育のシステムに通じる革新的な教育法を実践した。また青少年教育に尽力した。
当時の迫害はすさまじかった。聖職者でありかつ貴族でもあるラ・サールが、街のこどもに対し平民の教師と教育を施す光景は、教会や一門から見ると、今でいえばストリートチルドレンや行儀の悪いブラザーとつるんでいるようにしか見えなかったようである。
まず、ラ・サールはその件で、ラ・サール家を出なければならなかった。ラ・サールに共感した貴族の子弟アベー・クレモン(Abbe' Clement)が学校を建てるというので融資に応じた件では、返済もされず逆にその父親から未成年をだましたと訴えられて敗訴したため、パリから落ち延びて長らく隠棲しなければならなかった。
さらには、死の床についたときにさえ司祭職をはく奪されるという不名誉を受けた。しかし、ラ・サールの死に際して街の人々は、「聖人が死んだ」と触れ回ったという。
その偉業は、ラ・サールの死後から19世紀になってようやく教会にも理解されるようになり、聖人に列せられた。また20世紀半ば、すべての教育者の守護聖人であると宣言された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン=バティスト・ド・ラ・サール」の詳細全文を読む




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