翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームズ・パターソン
・ ジェームズ・パチョレック
・ ジェームズ・パッカー
・ ジェームズ・パンコウ
・ ジェームズ・パーク
・ ジェームズ・パークス
・ ジェームズ・パーソンズ
・ ジェームズ・パーチ
・ ジェームズ・ヒューズ
・ ジェームズ・ヒル
ジェームズ・ヒルトン
・ ジェームズ・ヒロユキ・リャオ
・ ジェームズ・ヒンチクリフ
・ ジェームズ・ビッドル
・ ジェームズ・ビドグッド
・ ジェームズ・ビドル
・ ジェームズ・ビーティー
・ ジェームズ・ピケンズ・Jr
・ ジェームズ・ピュアフォイ
・ ジェームズ・ピーク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームズ・ヒルトン : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・ヒルトン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェームズ・ヒルトン : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・ヒルトン[ちょうおん]

ジェームズ・ヒルトンJames Hilton, 1900年9月9日 - 1954年12月20日)は、イングランド小説家。『失われた地平線』、『チップス先生さようなら』といったベストセラーが有名で、脚本家としてアカデミー賞を受賞したこともある。『失われた地平線』に登場する「シャングリラ」は理想郷の代名詞としても広く知られる。
==生涯==
ヒルトンはランカシャーのリー(Leigh)で生まれた。父親はロンドンのウォルサムストウ(Walthamstow)にあるチャペル・エンド・スクールの校長ジョン・ヒルトンで、『チップス先生さようなら』のチッピング(チップス)先生のキャラクター造型の着想を与えた1人である(ちなみに『チップス先生』の出てくるウィルキンソン先生の名前はヒルトンの生まれたウィルキンソン通りから取られている)。ケンブリッジのレイズ・スクール(またはリーズ・スクール。The Leys School)に通い、そこが『チップス先生』の舞台になったと言われる。チッピング先生のモデルと言われるW・H・バルガーニーはレイズ・スクールの教師で、バルガーニーが管理していた隔週発刊の「レイズフォートナイトリー」(Leys Fortnightly)にヒルトンの最初の短編とエッセイが掲載された。
ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジ在学中に、紙の主筆と知遇を得て週2回の記名寄稿を始め、マンチェスター・ガーディアン紙などにも文芸評論を載せるようになる。17歳の時に執筆した処女長編『キャサリン自身』を1920年19歳の時に出版。卒業後は就職難のために上2紙などの新聞や雑誌に記事や書評を寄稿して生計を立てながら小説の執筆を続け、『今宵ぞさらば』『繰り返し日歩』で一部の批評家には認められつつも、 文名を高めるには至らなかった。1933年のブリティッシュ・ウィークリー誌のクリスマス特別号から連載した中編『チップス先生さようなら』が、アメリカの誌に転載されて好評となり、1934年6月に単行本化されてベストセラーとなった。またこれにより旧作の『失われた地平線』『鎧なき騎士』も評価され、『失われた地平線』はホーソーンデン賞(Hawthornden Prize)を受賞した。
『失われた地平線』と『チップス先生さようなら』を書いたのはウッドフォード・グリーン(Woodford Green)のオーク・ヒル・ガーデンズ(Oak Hill Gardens)にある平凡なセミ・ディタッチト・ハウス(Semi-detached。二軒一棟の家)に住んでいた時だった。この家は今も残っていて、ヒルトンが住んでいたことを示すブルー・プラークがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・ヒルトン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.