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シャルル=マリー・ヴィドール : ミニ英和和英辞書
シャルル=マリー・ヴィドール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャルル=マリー・ヴィドール : ウィキペディア日本語版
シャルル=マリー・ヴィドール[ちょうおん]

シャルル=マリー・ヴィドール(Charles-Marie Jean Albert Widor, 1844年2月21日リヨン - 1937年3月12日パリ)はフランスオルガン奏者・作曲家・音楽教師音楽理論家。
==略歴==
ハンガリー移民の末裔で、祖父の代までアルザスオルガン建造職人の家系であった。父フランソワ=シャルルはリヨンの教会オルガニスト、母親は発明家の一族であり、その親族にモンゴルフィエ兄弟がいた。
父親から音楽の手ほどきを受けた後、リヨンイエズス会神学校で古典教育を受ける。オルガン演奏が急速に上達すると、カヴァイエ=コルの助言により、1863年ベルギーに留学しブリュッセル音楽院にて、ジャック=ニコラ・レメンスにオルガンを、フランソワ=ジョゼフ・フェティス作曲を学ぶ。
翌年にリヨンに戻ると、たちどころに超絶技巧のオルガニストとして名声をほしいままにするようになる。その後もカヴァイエ=コルのますますの引き立てにより、パリでもその名を知られるようになり、ロッシーニマイヤベーアリストサン=サーンスフランクらと親交を結んだ。
1870年にカヴァイエ=コルの推薦により、わずか25歳でサン・シュルピス教会の終身オルガニストに就任。以後、ヴィドールは64年もの長きにわたってこの地位にとどまり続けた。ヴィドールはブリュッセル時代の師レメンスの影響を受けて、歴史的なドイツ音楽、とりわけバッハの音楽をフランス国民へ紹介することに力を注ぎ、自らもバッハのオルガン曲の演奏を熱心に行っていた。1880年代には、偽名匿名で音楽批評を各紙に寄稿するようになった。
1890年パリ音楽院のオルガン科教授であったフランクが死去すると、その後任として同音楽院のオルガン科教授に任命され、1896年からは作曲科教授に転身した。なお、ヴィドールの後任としてオルガン科教授に任命されたのは、同じくレメンスの門下生だったアレクサンドル・ギルマンであった。
後年は教育活動に熱を入れ、フォンテーヌブローなど国内各地のほかに、マドリードロンドンでも客員教授として教鞭を執った。パリ音楽院での門人はそれぞれ有名になり、中でもダリユス・ミヨーマルセル・デュプレ、晩期に教えたエドガー・ヴァレーズは際立っている。1910年フランス学士院入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル=マリー・ヴィドール」の詳細全文を読む




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