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シネマジャパネスク : ミニ英和和英辞書
シネマジャパネスク
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


シネマジャパネスク ( リダイレクト:奥山和由 ) : ウィキペディア日本語版
奥山和由[おくやま かずよし]

奥山 和由(おくやま かずよし、1954年12月4日 - )は、日本の映画プロデューサー映画監督株式会社KATSU-doの代表取締役。
愛媛県で生まれ東京都で育つ。都立戸山高校学習院大学経済学部経済学科卒業。松竹専務を経て、現在は株式会社チームオクヤマ代表取締役社長。株式会社祇園会館代表取締役社長。吉本興業株式会社エグゼクティブプロデューサー。沖縄国際映画祭エグゼクティブディレクター。

==来歴==

*実父は松竹元社長である奥山融
*学生時代、斉藤耕一監督などの助監督として活動。
*大学卒業後、1979年 松竹入社。経理部、興業部を経て1981年撮影所付きのプロデューサーとなる。
*1982年 瀬戸内シージャック事件を描いた『凶弾』(監督・村川透)で映画製作に初めて携わり、その後多数の映画をプロデュース。『海燕ジョーの奇跡』(監督・藤田敏八)など、反大船色の強い青春アクション映画が主流。特に異業種との共同製作が多く、純然たる松竹資本の映画はほとんどない。
*1987年東急グループ三井物産と製作した『ハチ公物語』(監督・神山征二郎)が、興収50億の記録的大ヒット。
*1989年映画ファンド第一号による『226』(監督・五社英雄)
*1992年テレビ朝日との『遠き落日』等、大ヒット作品多数。
*35歳で取締役に就任。
*1990年代前半は北野武『その男、凶暴につき』・竹中直人『無能の人』・坂東玉三郎『外科医』、また秋元康『グッバイママ』」などを新人映画監督として多くデビューさせる等、映画界の寵児としてもてはやされた。
*1994年 江戸川乱歩生誕100周年記念作品『RAMPO』で映画初監督。
*1997年うなぎ』(監督:今村昌平)で第50回カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞した。
*1998年1月 取締役会に於ける大谷信義の緊急動議により、2分間の決議で松竹を解任された。
*1998年、製作会社「チームオクヤマ」を設立。
*1999年、浅野忠信主演『地雷を踏んだらサヨウナラ』(監督・五十嵐匠)で、ロングラン記録を樹立。
*2001年、大竹しのぶ、時任三郎主演 浅田次郎原作『天国までの百マイル』公開。
*2008年 神山征二郎監督と久々のコンビによる『ラストゲーム 最後の早慶戦』、亀山千広とのタッグによる『TOKYO JOE』が公開。
*2010年 御徒町凧監督・森山直太朗音楽監督の『真幸くあらば』を公開。
*2011年 金子修介監督・内田有紀成宮寛貴主演『ばかもの』を公開。
*2012年 吉本興業との業務提携により、映画制作センターエグゼクティブプロデューサー及び沖縄国際映画祭のエグゼクティブディレクターとなる。
*2013年 新人クリエーターを発掘する『クリエーターズファクトリー』を発足。(第一回受賞者は杉野希妃。)
*2014年 第一回京都国際映画祭を、ゼネラルプロデューサーとして開催。
*2014年 吉本興業が設立した映画会社である株式会社KATSU-doの代表取締役に就任〔。
*2015年 竹野内豊・松雪泰子主演『at Home』、二階堂ふみ・長谷川博巳主演『この国の空』(終戦70周年記念映画)など、年間でプロデュース作品が10本を超える。
*2016年 桃井かおり監督・主演『火Hee』制作。ベルリン国際映画祭に正式招待される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥山和由」の詳細全文を読む




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