翻訳と辞書
Words near each other
・ サルヴァトーレ・ファルボ=ジャングレコ
・ サルヴァトーレ・フェラガモ
・ サルヴァトーレ・ペロースィ (潜水艦)
・ サルヴァトーレ・ボッケッティ
・ サルヴァトーレ・ボナンノ
・ サルヴァトーレ・マランツァーノ
・ サルヴァトーレ・リイナ
・ サルヴァトーレ・リスポリ
・ サルヴァトーレ・リチートラ
・ サルヴァトーレ・ロ・ピッコロ
サルヴァトーレ・ヴィガーノ
・ サルヴァドル
・ サルヴァドール
・ サルヴァドール (曖昧さ回避)
・ サルヴァドール・ダリ
・ サルヴァドール・ダ・バイーア
・ サルヴァドール・デ・バイア歴史地区
・ サルヴァドール・ルリア
・ サルヴァドール大聖堂
・ サルヴァドール市街地コース


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サルヴァトーレ・ヴィガーノ : ミニ英和和英辞書
サルヴァトーレ・ヴィガーノ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サルヴァトーレ・ヴィガーノ : ウィキペディア日本語版
サルヴァトーレ・ヴィガーノ[ちょうおん]

サルヴァトーレ・ヴィガーノSalvatore Viganò1769年3月25日- 1821年8月10日)は、イタリアバレエダンサー振付家バレエ指導者、作曲家である。舞踊一家に生まれ、ローマで舞台デビューした後にマドリードヴェネツィアウィーンなどヨーロッパ各地で踊った〔『オックスフォード バレエダンス辞典』、p.63〕〔ブルガ、p.14〕。1791年からバレエ作品の振付を手がけ始め、1801年にはウィーンで『プロメテウスの創造物』(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲)の振付を担当した〔〔〔『オックスフォード バレエダンス辞典』、p.473〕。類型に陥らない豊かなダンサーの表現力と、群舞の展開及び舞台上の構図を重視した近代的舞踊理論の先駆者として名を残している〔〔。
== 生涯 ==
ナポリ出身〔〔〔。舞踊一家の生まれで、父オノラート・ヴィガーノは振付家、母マリア・ボッケリーニはバレエダンサーであった〔〔〔〔レイナ、pp.110-113.〕。叔父(母の弟)にあたる作曲家ルイジ・ボッケリーニに、作曲の手ほどきを受けた〔〔。
1783年にローマの劇場で舞台デビューしたが、そのときは女性役(トラヴェスティ)としての出演であった〔〔〔レイナ、p.83〕。その後ジャン・ドーベルヴァルに師事し、1788年にヴェネツィアの舞台で踊った後、1789年にスペインカルロス4世の戴冠記念式典で踊りを披露した〔〔。同年、スペイン人ダンサーのマリア・メディナ〔『バレエの歴史』p.110では「オーストリアの踊り手」と記述されているが、本項では『オックスフォード バレエダンス事典』の記述に拠った。〕と結婚して2人でヴェネツィア、ウィーン、パリプラハドレスデンベルリンハンブルクなどのヨーロッパ各地を巡演した〔〔〔。メディナは美貌に恵まれた魅力的な踊り手で、舞踊技巧と表現力の双方に優れていた〔。ヴィガーノとメディナの舞台はウィーンなどで熱狂的な支持を持って迎えられたが、2人は10年後に離婚することになった〔〔〔。
ヴィガーノが振付を手がけ始めたのは、1791年のことであった〔〔。この年にヴィガーノはヴェネツィアで『クレクィの殿様ラウール』を自らの作曲によって振り付けた〔〔。彼はこの作品だけでなく、その後もしばしば作曲を手がけていた〔〔。1799年から1803年にかけてウィーンで働いた後に、イタリアへ戻って、ミラノウィリアム・シェイクスピアの悲劇『コリオレイナス』をバレエ化した〔。ウィーン滞在中の1801年に『プロメテウスの創造物』(ベートーヴェン作曲)の振付を手がけ、自らも出演した〔〔〔〔。この作品は人類の生みの親としてのプロメテウスを題材にした作品であったが、「おざなりの成功」しか収めなかったという〔〔〔。
1811年(一説には1813年)から1821年に死を迎えるまで、ヴィガーノはミラノ・スカラ座でバレエ・マスターを務めた〔〔。ヴィガーノの作品中で重要な位置を占めるものは、すべてミラノ・スカラ座で作られた〔〔。1804年の『カール・マルツィオ・コリオラーノ』(『コリオレイナス』のバレエ化作品)を始め、『ミュラ・オ・シャ、ヴィーナスの復讐』(1817年)、『オテロ』(1818年)などを振り付けた〔〔。『巨人族』(1819年)は、ヴィガーノの作品としては「最後の傑作」となった〔。1821年に最後の振付作品となる『ディド』にとりかかったが、過労のために風邪をこじらせてミラノで死去した〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サルヴァトーレ・ヴィガーノ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.