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『サラの鍵』(さらのかぎ、原題: ''Elle s'appelait Sarah'' )は、2006年に出版されたの小説、及び、これを原作とした2010年に公開されたフランスの映画。 == ストーリー (映画) == 1942年7月16日。パリのマレ地区(ユダヤ人街だった)サントンジュ。子どもが二人でベッドにいる朝にフランス警察による一斉検挙が行われる。10歳の娘・サラは弟ミシェルが病気で田舎に行ったとウソをつき、すぐに戻れると思って納戸に隠れていなさいと約束して鍵をかけて連れ去られる。弟は「誰かいないの?」とささやき続ける。 2009年。夫と娘と共にパリで暮らすアメリカ人女性ジャーナリストのジュリアは夫の両親が1942年8月から住んでいた古いアパートを譲り受けて住むことになる。ユダヤの娘が国鉄と政府を訴え、シラクがヴェルディヴ(冬季競輪場ヴェロドローム・ディヴェール)事件を認める演説が効いて勝った事件から、1942年のヴィシー政権による政策で検挙されたユダヤ人を特集にすることを決定。ヴェルディヴは皮肉なことに内務省になっている。近くに住んでいた老人は臭いで窓が開けられなかったと証言。ジュリアは45歳で待望の2人目の妊娠していることが分かるが、報告した夫ベルトランから「老いた父親になりたくない」という思わぬ反対を受け人生の岐路に立たされる。義父から引越した家がサラの家と聞き、誰も開けなかった貸金庫に入っていた手紙を読み、サラの足跡が分かってくる。 サラは両親と共に検挙され、納戸の鍵を持ったままヴェルディヴに送られる。悲鳴の中、母親も動転して「お前が置いてきたんだよ」とサラに怒鳴る。息子を逮捕してくれ、といった父親は殴られる。収容所に一家で連れて行かれるが、サラは弟を助け出すべく脱走を図る。やさしい警官ジャックにも助けられる。一緒に脱走した少女が途中でジフテリアで倒れて亡くなるものの、親切なデュフォール夫妻に助けられたサラは夫妻の孫「息子」を装って共にパリに向かう。ところがサラが住んでいた部屋には既にテザック家が暮らしていた。そして強引に部屋に上がり込み、納戸の鍵を開けたサラが見たのは弟ミシェルの無惨な姿であった。ミシェルの遺体はデュフォール夫妻が引き取り、テザック家の主人とその幼い息子エドゥアルドの2人はこの事実を家族にも隠すことにする。エドゥアルドはサラのその後について何も知らされていなかったが、父はその後もデュフォール夫妻が引き取ったサラに毎月金を送り、一方、デュフォール夫妻はサラの近況を手紙で伝えていたのだ。しかし、デュフォール夫妻の孫娘として育てられたサラは成長したある日、デュフォール家の人々に「赦して、愛しています」と伝言して家を出て行ってしまう。 デュフォール夫妻の孫息子でサラと兄弟同然に育ったニコラの娘ナタリーと連絡の取れたジュリアは、サラがその後、ニューヨークに渡り、結婚したことを知る。堕胎を取りやめてブルックリンに向かったジュリアは、サラが既に40年も前に交通事故で亡くなっていたことを知る。しかし、事故当時9歳だった1人息子ウィリアムが妻子と共にフィレンツェで暮らしていることを知ると、早速会いに行く。料理本も出しているウィリアムだが、サラの話をしようとしたジュリアに対し、母サラがユダヤ人であったこともスタルジンスキーという名も悲劇も何も知らない、全部ウソだと話を聞くことを頑なに拒む。ジュリアは他人の人生に干渉した自分の傲慢さを思い知らされる。パリに戻ったジュリアは夫の意志に反し、堕胎せずに生むことを決める。一方ウィリアムは死期の近い父から、母が事故で死んだのではなく、ひどい鬱病を患って自殺した事実と彼女の過去の悲劇を初めて知らされる。そしてサラの遺品である日記を受け取ると、中から鍵が出てくる。 それから2年後、ジュリアは夫と別れ、ニューヨークで2人の娘と暮らしている。そこにウィリアムから会いたいとの連絡が来る。ウィリアムは死後40年経って初めて母サラの本当の姿を知ることができたこと、そして、そのことで父が穏やかに死を迎えることができたことを報告する。ジュリアは2年前のイタリアでウィリアムに初めて会った際の自分の傲慢さを詫びる。2人は打ち解け合い、ウィリアムは改めてジュリアが生んだ2人目の娘の名前を尋ねる。ジュリアは「サラ」と答える。ウィリアムは感極まって涙する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サラの鍵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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