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サトラップ : ミニ英和和英辞書
サトラップ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


サトラップ : ウィキペディア日本語版
サトラップ
サトラップは、古代メディア王国アケメネス朝ペルシア王国及び、その政治体制を受け継ぐ諸国で用いられた州の行政官を指す称号である。サーサーン朝ヘレニズム要素の強い帝国でも用いられた。太守総督とも訳される。
サトラップは古代ペルシア語の (州の守護者)から来ている。 が領域や州を示す言葉で、 が守るものという意味である。聖書ヘブライ語では、ギリシア語では (サトラペス)と訳され、ローマによって satrapes:サトラップという言葉になった。現代ペルシア語ではと表記される。
現在でも、しばしば超大国・覇権国の動向に極めて強い影響を受ける指導者・行政長官のことを「サトラップ」という言葉で用いられることがある。
== メディア・ペルシアのサトラップ ==
この制度を最初に採用したのはメディア王国においてであり、遅くとも紀元前648年には使用されていた。当時は「フシャスラバーワン」と呼ばれていたと推定されている。そしてアケメネス朝のキュロス2世の代、紀元前530年頃に至って大々的に施行されることとなった。
征服した領土を王の代理人を通じて支配するという形はメディア王国もアケメネス朝も変わらない。しかしペルシアの文化では、王権と神聖性は不可分とされたことである。王権はによって与えられた権利とされていた。二十人のサトラップがキュロスに任命され、太守たちは王の称号を用いて統治していた。当初は中央政府の忠実な代理人であった彼らであったが、時代が経つにつれ独立の機会を虎視眈々と狙い、実力をつける機会をうかがうものも出始める。ダレイオス1世がサトラップを実質的な機構として作り上げ、23に増やし、年間の貢納額を定めたとされている(ベヒストゥーン碑文)。
サトラップは州の最高行政長官であり一族や代々の家臣が近臣となってそれを支えた。彼らは徴税権を一手に担い地方官、従属を誓った諸部族・都市を支配した。加えて司法権も委ねられ民事及び刑事の問題を裁いた(旧約聖書ネヘミヤ記3:7)。また治安維持の責任者であり交通網の確保と山賊の横行や反乱に対処する義務を負っていた。
サトラップが配属された地域に在住するペルシア人は一種の評議会を構成し、サトラップと政策上の意見を交換したり、請願を行うことができた。この会議には現地住民の参加も認められていた。しかし議会は王直属の書記官や密偵が強い影響力を持っていた。特に年一回の調査をし、恒久的な支配をもたらす王の目と呼ばれる監察官は重要な役割を果たしていた。
サトラップを掣肘する存在は他にも存在した。古代ペルシアでガンザバラと呼ばれた財務官や州内に設置された要塞を拠点とする将軍はサトラップから独立しており、王に直属していた。当然サトラップも公務の範囲内で独自に軍隊を持つことが認められていた。
強い権限を持つサトラップ管区はしばしば小さな単位に分割された。分割された小さな単位の行政長もしばしばサトラップと呼ばれた。ギリシア・ローマ系の著作者が主にそう記している。また hyparchs とも呼ばれ、事実ギリシア語では副理事を意味する言葉となっている。強い権限を持つサトラップは何度も交代させられた。そしてしばしば二つのサトラップを同一人物が兼ねることがあった。
州は連続的な征服の結果として定められてきたものである。本拠は特権的な地位を持ち州の義務である貢納を免除されていた。主サトラップも副サトラップもほぼ前政権を踏襲するか、民族・宗教アイデンティティの単位で区分けされた。アケメネス朝の成功の秘訣の一つとして、長期間その領土を維持し続けるのに成功した諸帝国と同じように、征服した人々の文化や宗教に対して寛容だったことが挙げられる。ペルシャ文化は首都ペルセポリスを中心として、偉大なる王が帝国下の多様な要素を一つの新しいものに統合しようとしたため、最も多文化から影響を受けた文化となった。
中央の権威が衰えるとサトラップは実質的な独立を享受することができるようになった。本来の統治原則に反して、サトラップで居続けることができたし、周辺の軍隊に対し司令官を任命することが半ば慣習化した。世襲され半ば自治状態になると中央もその危険を放置できなくなった。5世紀の半ばまでサトラップの反乱はよく見受けられる。アケメネス朝を簒奪したとされるダレイオス1世はサトラップの鎮圧に明け暮れた。アルタクセルクセス2世の治世下には小アジアやシリアの大部分に反乱は広がった。最後の大規模な反乱はアルタクセルクセス3世によって収められた。
旧約聖書のエステル書(3:12と8:9と9:3)にサトラップの用語が見受けられる。エズラ書(8:36)、最も一般的にはダニエル書(3:2・3:3・3:27・6:1・6:2・6:3)にもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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