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ゴルドーニ : ミニ英和和英辞書
ゴルドーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ゴルドーニ ( リダイレクト:カルロ・ゴルドーニ ) : ウィキペディア日本語版
カルロ・ゴルドーニ[ちょうおん]

カルロ・ゴルドーニ(Carlo Osvaldo Goldoni, 1707年2月25日 - )はヴェネツィア共和国劇作家リブレット作家
1707年ヴェネツィア医師の子として生まれ、パドバ大学で法律を修めたが、北イタリアの各地を遍歴し、傍ら劇作に手を染めた。1748年弁護士を廃業し、メデバック劇団の座付き作者となり、矢継早に斬新な喜劇を世に送り、演劇の改革時代を招来した。1753年、サン・ルーカ劇場(現ゴルドーニ劇場)に移ったが、新しい時代の変革を反映した彼の作品を喜ばない観客に加えて、キアーリゴッツィら、保守的な劇作家の誹謗、攻撃の的となり、失意のうちに渡仏した。パリのイタリア劇団の招きによるものであった。1964年ルイ15世の招請を受け、ベルサイユ宮で王女たちのイタリア語教育に当たったが、フランス革命を迎えてパリに退き、1793年2月6日同地で他界した。
二百数十に及ぶ喜劇に彼はヴェネツィアの民衆を描き続け、そこによく広く普遍的な人間性情の真実を写しとろうとした。仮面を抜け出し、素顔の表情をもってとらえられた民衆群像は、その猥雑性よりも明るい活力において、凋落する貴族の無為と怠惰な姿に対比されるものであった。旧体制下におけるオプティミストと評されながら、彼の善意と良識に支えられた喜劇は、コメディア・デラルテのもつ卑俗性と、仮面による人物の類型性を脱却して画期的な生命を獲得し、イタリアにおける近代劇への母体となった。現代に至るまで、その傑作が世界の舞台で上演されている。
== バイオグラフィ ==

*二人の主人を一度にもつと1745年
*コーヒー店(1750年
*宿屋の女主人(1753年
*おかしな出来事(1755年
*田舎者(1759年
*キオッジャ騒動(1762年
*陽気な気むずかしや(1771年
*回想録-わが生活と演劇(1787年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロ・ゴルドーニ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carlo Goldoni 」があります。




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