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コースト・ウォッチャー : ミニ英和和英辞書
コースト・ウォッチャー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コースト・ウォッチャー ( リダイレクト:コースト・ウォッチャーズ ) : ウィキペディア日本語版
コースト・ウォッチャーズ[ちょうおん]

コースト・ウォッチャーズ(沿岸監視員,Coastwatchers)、若しくは沿岸監視機関(Coast Watch Organisation)、合同地域諜報局(Combined Field Intelligence Service)、或いは連合情報事務局C部(Section "C" Allied Intelligence Bureau)は、連合国軍情報戦のため、遠隔の太平洋諸島第二次世界大戦太平洋戦争)時に配置され、敵軍の動静を監視し、敵前で取り残された連合軍兵士を救助するため活動した連合軍の情報組織、及びその要員のことである。監視員達は太平洋戦域南西太平洋戦域で重要な役割を果たし、特に、早期警戒のネットワークとしてガダルカナルの戦いの間機能した。
== 概要 ==

=== 前史 ===
総計で400名以上、一説では最盛期に800名〔近藤(1987)p22〕の沿岸監視員達がおり、殆どがオーストラリア軍士官ニュージーランドの復員軍人、南太平洋の島々の先住民達、逃亡に成功した連合軍捕虜達であった。
戦史研究者の近藤新治によれば、オーストラリア軍がこの種の警戒任務に興味を持ったのは第1次世界大戦が勃発した1914年で、海軍の西部豪州海軍管区司令官(District Naval Officer Western Australia)から意見が出されていると言う。当時ドイツの植民地を奪って躍進する日本をオーストラリアは極端に(日本と同盟関係にあった英本国以上に)警戒し、1918年頃から日系人や日本商人に関しての膨大なスパイ報告を積み上げた。これらは戦後オーストラリアの歴史研究誌『Historical Review』にオルトンという人物が記事を書いたが、報告には偏見の混じった内容も多かったと言う〔近藤(1987)p13、p24、オルトンのくだりは質疑応答時の平間洋一の発言〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コースト・ウォッチャーズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Coastwatchers 」があります。




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