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コンレール : ミニ英和和英辞書
コンレール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コンレール : ウィキペディア日本語版
コンレール[ちょうおん]

コンレールは、かつてアメリカに存在していた一級鉄道である。正式にはConsolidated Rail Corporation、すなわち「統合鉄道公社」といい、1976年4月1日に財政的に行き詰まっていた北東部の鉄道会社数社を引き継いで設立された、連邦政府が出資するアメリカの鉄道会社である。略称はCR。
1999年にノーフォーク・サザン鉄道(N&S)、CSXトランスポーテーション(CSX)と、コンレールの一部機能を引き継ぐコンレール・シェアード・アセッツ・オペレーションズ(CSAO)に分割吸収された。
== 歴史 ==

=== 前史(1973年 - 1976年) ===
1970年をはさんだ前後数年間、アメリカの鉄道輸送は急激に崩壊していった。
1968年にニューヨーク・セントラル鉄道(NYC)とペンシルバニア鉄道(PRR)が合併し、さらに翌年にはニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道(NH)がそこに合併してできた大規模な鉄道会社ペン・セントラル鉄道(PC)も、1970年6月21日に破産を宣言していた。これは、アメリカ史上最大の倒産であった。
長距離旅客輸送はPC破綻により大打撃を被ったため、連邦政府はアムトラックを設立し、対策にあたった。また、PCは政府援助のもと会社更生法の適用を受け、貨物運送に特化した。
1973年半ば、地方裁判所裁判官ジョン・P・フラムは、もしPCが10月1日までに政府の援助を受けられなければ年末までにすべての操業を停止するか倒産する可能性があることを明かした。連邦議会はただちにPCの国有化法案を提出した。国有化に反対していたアメリカ鉄道協会(AAC)は代わりに政府資本の企業体を提案した。
1974年までフラムは会社の舵を取った。リチャード・ニクソン大統領が1973年1月2日に広域鉄道再構築法(Regional Rail Reorganization Act)にサイン。この法律は頭文字をとって3R-Actと呼ばれ、破産した鉄道に暫定的に資金提供をし、AACの計画のもとでコンレールを形づくるというものであった。
3R法により、1974年2月1日、アメリカ鉄道連盟(United States Railway Association、USRA)というコンレールを監督する公社が創設された。破綻した鉄道会社の不採算路線を廃止することに関してはそのまま州間通商委員会より引き継いだ。
ニクソンは、3月18日にカリフォルニア州の保険会社の幹部であるエドワード・G・ジョーダンがUSRAの社長、イースタン航空のアーサー・D・ルイスが4月30日に会長となり、そのほかの組織作りも5月30日までに終わった。り、6月11日に公表された。
3R法のもとで、USRAはコンレールとしてどの路線を残すべきかを決める最終構成案を構築しなければならなかった。一般の鉄道の経営統合と異なり、引き継がれる路線は指定される。その他の路線はアムトラックや州政府、交通事業者に売却しなければならなかった。その計画は1975年7月26日に公表された。残ったのは、PCと下記6社から引き継いだ路線である。
*アナーバー鉄道(AA、1973年破綻)
*エリー・ラッカワナ鉄道(EL、1972年破綻)
*リーハイ・バレー鉄道(LV、1970年破綻)
*レディング鉄道(RDG、1971年破綻)
*セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージー(CNJ、1967年破綻)
*リーハイ・アンド・ハドソン・リバー鉄道(L&HR、1970年破綻)
11月9日には連邦議会に承認され、翌1976年2月5日、ジェラルド・R・フォード大統領はこの最終プランを含む鉄道再生・規制緩和法Railroad Revitalization and Regulatory Reform Act)にサインし、法は成立した。
ELは1960年にエリー鉄道デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道が合併してできた鉄道であるが、ほかの鉄道よりも財務状況はよかった。そのため、法77条により、1977年4月30日をもって再建されることになっていたが、1975年1月9日、終わりの見えない損失が予想されたことにより役員たちはコンレールとの統合を再検討し、統合の道を選んだ。
最終構成案では、ELの大部分を占めるニュージャージー州北西部からオハイオの北東をチェシー・システムに売却することにした。しかし、チェシー・システムはELの労働組合との折り合いがつかず、1976年2月、ELの部分購入断念を宣言。USRAは、フィラデルフィアペンシルベニアワシントンD.C.で多くの路線が競合するデラウェア・アンド・ハドソン鉄道に引き継いでもらおうと急いだ。
他方、ミシガン州はその南部の路線のみをコンレールが引き継ぐ予定にしていたAAを全線維持することを決定。ミシガン州はAAを購入し、コンレールに運営を委託。数年後、AAはショート・ラインとして売却された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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