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コンラート4世 : ミニ英和和英辞書
コンラート4世[よ, せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

コンラート4世 ( リダイレクト:コンラート4世 (神聖ローマ皇帝) ) : ウィキペディア日本語版
コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)[こんらーと4せい]

コンラート4世Konrad IV, 1228年4月25日 - 1254年5月21日)は、ホーエンシュタウフェン朝最後の神聖ローマ皇帝(在位:1250年 - 1254年)。イタリア名はコッラードCorrado)。父はフリードリヒ2世、母はエルサレムジャン・ド・ブリエンヌの娘で女王イザベル2世(ヨランダ)。兄にハインリヒ7世、弟にサルデーニャ王エンツォアンティオキア公フリードリヒ3世とマンフレーディ。妻はバイエルン公ライン宮中伯オットー2世の娘エリーザベト。シチリア王・コッラディーノ(コンラーディン)の父。
コンラート4世には異母兄ハインリヒがいたが、彼は1234年ローマ教皇に煽動されて父王に反逆したため、皇太子を廃されたうえで自殺していた。このため1250年に父が亡くなった後、帝位はコンラート4世が継ぐこととなったのである。しかし、コンラート4世は在位僅か4年で死去。幼い息子のコッラディーノや庶弟のエンツォとマンフレーディ兄弟もローマ教皇と争い、その支持を受けたシャルル・ダンジューによって滅ぼされ、1272年にホーエンシュタウフェン家で唯一、生き残った弟エンツォも嗣子がないままボローニャで獄死した。ホーエンシュタウフェン朝は断絶し、帝国は大空位時代を迎えることになった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)」の詳細全文を読む




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