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コリン・レンフルー : ミニ英和和英辞書
コリン・レンフルー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コリン・レンフルー ( リダイレクト:コーリン・レンフリュー ) : ウィキペディア日本語版
コーリン・レンフリュー[ちょうおん]
アンドリュー・コーリン・レンフリューAndrew Colin Renfrew, Baron Renfrew of Kaimsthorn , 1937年7月25日 - )は、イギリスの著名な考古学者である。ニューアーケオロジー(新考古学)のリーダーの一人で、先史時代言語学、考古遺伝学(archaeogenetics)や「離心減少モデル」などの理論や、考古遺跡の略奪・破壊の防止についての業績が注目されてきた。放射性炭素年代測定の権威でもある。レンフリューは、原印欧語族の「原郷」がアナトリアにあって農業の発展に伴い、まずギリシャへ移住してから徐々に拡大し、イタリアシチリアコルシカフランスの地中海岸、スペインポルトガルにうつっていったという仮説(いわゆる「レンフリュー仮説」)によってその名を知られている〔アナトリア仮説とも呼ばれる。この説については言語学の面から批判が多い。たとえばインド・ヨーロッパ古文献に関する覚え書き 〕。
== 経歴と学績 ==
レンフリューは、イングランド南東部のハートフォードシャーにある聖アルバン校 (St Albans School) に学び、1956年から1958年にかけてイギリス空軍の兵役に就いた。その後、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学し、考古学と人類学自然科学を学んで、1962年に卒業した。1965年に「キクラデス諸島における新石器時代及び青銅器時代文化と対外関係」(''Neolithic and Bronze Age cultures of the Cyclades and their external relations'')と題する博士論文を提出して、その年にJane M. Ewbankと結婚している。
1965年に、シェフィールド大学で先史学と考古学の講師をつとめ、1968年から1970年の間にギリシャのシタグロイ遺跡を調査した。1968年には、シェフィールド・ブライトサイド選挙区から保守党 候補として立候補したが落選する一方、ロンドン古代学協会フェロー(Fellow、特別研究員)に選ばれている。1970年にはスコットランド古代学協会のフェローに選ばれた。1972年、サウザンプトン大学でバリー・カンリフ〔やはり考古学者で、本名はバリングトン・ワィルドソル・カンリフという。〕卿の後任として考古学担当教授となった。サウザンプトン時代のレンフリューは、オークニー諸島のQuanterness遺跡や、ギリシャのメロス島にあるフィラコピ遺跡の発掘調査を指揮している。
1973年、レンフリューは、「文明以前:放射性炭素年代測定革命と先史時代のヨーロッパ」(''Before Civilisation: The Radiocarbon Revolution and Prehistoric Europe'')を著した。これは、ヨーロッパの先史文化の変革、発展は中東を起源としており、それがヨーロッパに普及したという仮説を論じようとするものであった。また、レンフリューは、マリア・ギンブタス〔いわゆるクルガン仮説の主唱者。詳細はクルガンを参照。〕とともにSitagroi遺跡の調査をしている。
1981年、レンフリューは、ケンブリッジ大学のDisney Professorship of Archaeology
〔イギリス、ノッティンガム出身の法廷弁護士で、考古学者であるジョン・ディズニー(1779年 - 1857年)によって1851年につくられた考古学の研究者に与えられる褒賞制度で、教授職に就いた場合に1000ポンド、死亡時に3500ポンドが授与される制度。ちなみにジョン・ディズニーは、ウォルト・ディズニーとは直接関係はない。〕に選ばれて着任し、2004年に退職するまで教授職にあった。1990年、レンフリューはケンブリッジ大付属のマクドナルド考古学研究所の所長となった。1987年に「考古学と言語:原インドヨーロッパ語族の起源の謎」(''Archaeology and Language: The Puzzle of the Indo-European Origins'')を著した。また、1986年から1999年までケンブリッジにあるジーザス・カレッジ(Jesus College)の学寮長を務めた。2004年に先史考古学の分野で名誉あるバルザン賞を受賞した。同じ年にケンブリッジ大の職を辞し、アテネ・ブリティッシュスクールの運営理事長になった。2005年から2006年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校のCotsen考古学研究所の招聘研究者となった。
レンフリューは、1991年、「ケイムズソーンのレンフリュー男爵」として貴族に叙せられた。爵位の名称はスコットランドのレンフリュー地方にちなんでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コーリン・レンフリュー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Colin Renfrew, Baron Renfrew of Kaimsthorn 」があります。




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