翻訳と辞書
Words near each other
・ コジコデ
・ コジコーデ
・ コジソウ
・ コジネズミ
・ コジプジ
・ コジマ
・ コジマ (ペット)
・ コジマ (小惑星)
・ コジマ (曖昧さ回避)
・ コジマ (機動戦士ガンダム)
コジマエンジニアリング
・ コジマキッド
・ コジマジック
・ コジマプロダクション
・ コジマ・KE007
・ コジマ・ウィンザー
・ コジマ・ミーニン
・ コジマ・ムジカ・コレギア
・ コジマ・リスト
・ コジマ・ローズ・アレクサンドラ・ウィンザー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コジマエンジニアリング : ミニ英和和英辞書
コジマエンジニアリング
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


コジマエンジニアリング : ウィキペディア日本語版
コジマエンジニアリング

株式会社コジマエンジニアリングは、京都府に本社を置くモータースポーツ関連企業・チーム。かつてはレーシングカーコンストラクターとして活動し、F1日本での世界選手権公式戦にも2度スポット参戦した。
現在はパワーボートレースに参戦するKEレーシングのほか、各種ボートの販売・メンテナンスを取り扱うKEマリンヘリコプターのチャーター便を扱うKEエア、モータースポーツイベント企画などの事業を行っている。
== 沿革 ==

=== 自動車レース ===
創業者の小嶋松久(1944年11月7日 - )は高校時代より2輪ライダーとしてダートトラックレースやモトクロスで活躍し、国内の250ccクラスでは無敵と呼ばれた。スズキのワークスライダーとしてヨーロッパのモトクロス世界選手権に遠征したほか、メカニックとしての修行も積んだ。1968年に2輪レースを引退すると、1970年に故郷の京都〔小嶋の実家は輸入果物卸売業者の「芋松」。〕でコジマエンジニアリングを設立。当初はスズキのオートバイをレースチューンして販売していたが、メーカーが市販レーサーを製造するようになったことから、4輪レースの分野へと転向する。
1970年1月18日には全日本鈴鹿300kmレース大会にフォード・GT40にて参戦し総合4位となる。ドライバーは田中健二郎。このマシンは元々ジョン・ワイア・オートモーティブ (JWA) がル・マン24時間レース用に製作したものをヤマハが研究用として使用していたもので、トヨタ・7の開発に貢献したといわれている。
スズキ・フロンテのエンジンキット販売を経て、オリジナルシャーシの開発に着手。1971年に入門フォーミュラFJ360/FL500に参入し、片山義美を擁して勝利を重ねる。1973年にはFJ1300、1974年にはF2000(それぞれF3F2に相当)にステップアップ。サーティースマーチの海外製マシンを購入し、足回りを自社製に置き換えるなどしてフォーミュラカー造りの経験を積む。小嶋のモトクロス時代の後輩である長谷見昌弘が1974年、1975年の全日本FJ1300選手権を連覇。1975年5月の日本GPではFL500、FJ1300、F2000の3クラスともコジマが関わったマシンが優勝する〔FL500は山本高士 (KE-FJ III)、FJ1300は長谷見昌弘(マーチ・733)、F2000も長谷見(マーチ・742)が優勝した。〕。翌1976年にF1日本初開催が決まったことから、小嶋はフォーミュラレースの最高峰へオリジナルマシンで挑戦することを決断する。
1976年10月のF1選手権イン・ジャパンKE007の1台体制(長谷見)でスポット参戦。予選タイムアタックであわやポールポジションという快走を見せるもサスペンション故障でクラッシュ。大破したマシンを決勝までに奇跡的に修復したが、7周遅れの11位完走に終わる。
1977年全日本F2000選手権にKE008を投入。シーズン途中に長谷見が離脱したため、スピードスターレーシング(高橋国光)とジョイントする。10月の日本GPにむけてKE009を製作し、高原レーシング(高原敬武)とヒーローズレーシング星野一義)とジョイントする。前年以上の活躍を期待されたがタイムが伸び悩み、決勝では高原がクラッシュに巻き込まれて1周リタイア、星野が2周遅れの11位という不本意な成績に終わる。
その後、F1参戦を目指していた西ドイツカウーゼンからKE009を使用したいとのオファーを受け準備を進めたが、カウーゼン側が資金難から計画を撤回したため、海外進出は幻に終わる〔その後カウーゼンは独自参戦に計画変更し、に2戦エントリーしたが予選落ちに終わった。〕。また、1978年の日本GPにむけてウィングカーのKE010を開発したが、赤字や観客死亡事故の影響で開催がキャンセルされたため、開発を打ち切った。
1979年には2代目のF2マシンとなるKE011を投入するも成功作とはならず、これを最後に4輪レース活動を停止する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コジマエンジニアリング」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.